史上最悪…プロ野球、歴代お騒がせ助っ人外国人5人
プロ野球の世界では、助っ人外国人選手の活躍がチームの順位に直結するといえる。もちろん期待通りの活躍を見せた選手も多くいるが、衝撃の形で日本球界を去った選手もいた。そこで今回は、歴代の助っ人外国人選手の中でも、日本球界を騒がせる形となったプレーヤーを紹介する。 【写真】プロ野球、球団別歴代助っ人ランキング(投手・野手)
ブラッド・ペニー
出身:アメリカ合衆国 投打:右投右打 身長/体重:193cm/104kg 生年月日:1978年5月24日 メジャーで輝かしい実績を残しながら、日本で全く活躍できなかった選手がブラッド・ペニーだ。 フロリダ・マーリンズ(現:マイアミ・マーリンズ)でメジャーデビューを飾ったペニー。2003年に10勝をマークすると、ロサンゼルス・ドジャースでプレーした2006年には最多勝(16勝)も獲得。メジャー通算119勝を挙げた右腕は満を持してソフトバンク入りした。 開幕が目前に迫った3月のオープン戦で3回無失点と好投し、2012年4月4日の楽天戦で1軍の先発マウンドに立った。しかし、4回を投げきれず6失点(自責4)と精彩を欠く投球内容。 同年の盗塁王・聖澤諒に3つの盗塁を許すなど、多くの課題を露呈。また、試合途中に右肩痛を訴えたこともあり、急遽マウンドから降りることになった。 日本とアメリカの両方で患部の検査を受けたペニーだが、結果は「異常なし」。にもかかわらず、ペニーが1軍のマウンドに帰ってくることはなく、5月8日に退団が発表された。
ダン・ミセリ
出身:アメリカ合衆国 投打:右投右打 身長/体重:183cm/98kg 生年月日:1970年9月9日 当時の巨人に不在だった「絶対的守護神」として、球団からの期待も大きかったダン・ミセリ。だが、終わってみればまさに大誤算だった。 1995年にピッツバーグ・パイレーツで21セーブを記録したミセリは、さまざまな球団を渡り歩いた。巨人移籍前の2004年には74試合登板で防御率3.59と一定の成績を残し、メジャー球団から獲得オファーがありながら巨人を選択したのである。 しかし、開幕戦で1点リードの9回に登板すると、グレッグ・ラロッカに同点アーチを被弾。さらに緒方孝市にも一発を許し、デビュー戦は散々な出来に終わった。続く試合でもサヨナラ負けの責任投手になるなど、全く結果を出せない状態が続いた。 契約上、2軍に落とすことができなかったミセリは、4試合目で敗戦処理に配置転換。ミセリ自身がこの役割に納得がいかなかったこともあり、4月19日に退団。1ヶ月も経たないうちに日本球界から去っていった。