「声を上げた女性たちが置き去りに」松本人志“復帰待望論”のなかで見過ごされてしまった「重要な論点」とは
声をあげた女性たちがどう思うか
記者の松本氏周辺への食い込みが優秀なのかもしれないが、今回の件でまず気にしなければいけないのは松本氏の復帰時期ではなく、声をあげた女性たちがどう思うかではないだろうか。 というのも、私もつい視聴者として「復帰時期、場所はどこ?」と昨年の年明けから考えていたからだ。テレビから撤退しても劇場に戻ればよいのではとか、配信システムが定着すればむしろテレビに引導を渡してしまうきっかけにもなるのでは? とさえ想像した。 でも、「今は考えることではない」とすぐに思い直した。声を上げた人たちを置き去りにするようなことをしてはいけない、と感じたからだ。 それでいうと昨年の「週刊文春」の誌面で『松本問題「私はこう考える」』という企画があったが、注目したのは評論家の荻上チキ氏の見解だった。抜粋する。
荻上チキ氏の指摘
・荻上チキ「メディアが一丸となって調査すべき」(3月14日号) 松本氏に関する報道や反応で二つ気になることがあるという。 〈①業界に蔓延する悪質な手法 ②一連の性加害問題などに対して、芸能界とメディアが一致団結して向き合っていない〉 ①は相手が断りづらい状況を作って、あたかも能動的にその選択をしたかのように“罠”を仕掛け、性的な行為に及ぼうとする「エントラップメント」を指摘している。 ②はメディアの多くは「芸能ニュース」として消費している。しかし業界の構造や風土の問題として考え、「ハラスメントや人権侵害の撲滅に取り組んでほしいと思います」と締めている。 いかがだろうか。この内容は現在報道されている中居正広氏の一件にも共通しないだろうか。松本人志裁判は終結となったが、きちんと向き合ったかどうか、そこが問われると思うのです。メディアも含めて。 ※今回の読み比べコラムは新刊 『半信半疑のリテラシー』 (扶桑社)用に書いていた文章に若干の追記をした。この裁判終結後の原稿は字数や日程上の理由で収録できなかったので今回こちらで一部を公開しました。
プチ鹿島