古希過ぎての「修学旅行」 「青春とは心の様相」実感 書く書く鹿じか
青森に行ってきた。 10年ほど前、北海道小樽市の高校の同級生が集まった席で、誰かが「もう一度、修学旅行をやらないか」と言い出した。たちまち話がまとまり、十数人で京都に出かけて、清水寺、金閣寺、嵐山などの定番コースを45年ぶりに巡った。大人の修学旅行だから、夜は酒宴になる。あらかじめ「病気と孫の話はしない」とルールを定め、高校時代の思い出話に花が咲いた。 一度きりのはずが以降、鎌倉、金沢、奈良、小樽などを旅した。参加者も増えて、今回は24人。ちょっとした団体ツアーで、コースの設定や宿泊、食事の手配など幹事は大変である。本当にご苦労様。 青森は格別に楽しかった。地酒と海山の幸を堪能し、東北の夏祭りを代表する「ねぶた」(弘前などは「ねぷた」)に感動した。とくに五所川原市で見学した立佞武多(たちねぷた)は、高さ20メートル以上、重さ約19トンもの巨大な人形灯籠が圧巻だった。 その日の夕食会場では津軽三味線の実演があり、太鼓も入ってねぶた祭りのお囃子が披露された。健康美人の跳人(はねと)をまねて、「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声で飛び跳ねた。古希を過ぎた皆が17~18歳に戻っていた。米国の詩人、サミュエル・ウルマンの「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」(岡田義夫訳)がよくわかった。 太宰治の生家「斜陽館」にも行ったので、帰ってから「津軽」を読み直した。太宰は戦争中の昭和19年5月から6月にかけて、生まれ育った津軽地方を旅行した。故郷には「汝(なんじ)を愛し、汝を憎む」と複雑な感情を抱いていた。それに自分はこの戦争で死ぬかも知れないと思っていた。死ぬ前にもう一度、郷里を見つめ直してみたい、と出版社からの新風土記シリーズの依頼を引き受けた。 <「や! 富士。いいなあ。」と私は叫んだ。富士ではなかつた。津軽富士と呼ばれてゐる一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふはりと浮かんでゐる。>子供の頃から見慣れた山が新鮮に映る。旧友との再会を楽しみ、酒を酌み交わす。なのに実家では、兄たちに他人行儀になってしまう。 この旅の大きな目的が、育ての親と慕った「たけ」さんに会うことだった。ようやく尋ね当て、たけさんの横に足を投げ出して座り、<平和とは、こんな気持の事を言ふのであらうか。>死を予感していたはずが、心の平安を得た。