歌手の夢を諦め葛藤した過去 夢見た場所でのライブを開催した、Uruの意識改革
デビュー前に3年間投稿を続けた YouTube動画100本
Uruの音楽活動は、2013年に自ら立ち上げたYouTubeチャンネルから始まった。2016年のメジャーデビューまでの約3年間に公開した動画は100本に及ぶ。中島みゆきの「糸」やback numberの「ヒロイン」など新旧問わず数々の楽曲をカバーした。歌唱や編曲、演奏だけでなく撮影や編集まで全て一人で手掛けた。デビュー時点で総再生回数は4400万回以上、チャンネル登録者が14万人超えという新人としては異例の実績を作り上げた。 「独学で曲を作ってきたので、世間ではやっている音楽がどんな音楽なのか構造を知りたい、勉強したいと思ったんです。せっかく歌うんであれば、自分の存在を誰かに知ってもらうためにYouTubeを活用しようと」 現在の所属事務所とのつながりが生まれたのもYouTubeに投稿されたカバー動画がきっかけだ。ネットを介して多くの人たちにその歌声の魅力が浸透していたことが、ブレイクの背景にあった。
ライブ直前に心身不調に 公演当日まで拭えなかった不安
2021年11月13日、デビュー5周年を迎えたUruは、東京国際フォーラム・ホールAのステージに立った。スキマスイッチのライブを見た場所、デビュー前から目標にしていた舞台だ。決まったときには喜びもひとしおだったという。 「本当にここでやれるんだと思いました。本気で音楽を志したタイミングで友人に『絶対に東京国際フォーラムに立つから』って言ったら、『いやいや、もしできたら何でもあげるよ』って言われて。それくらい当時からすると現実味の無い場所だと思ってたんですけど、願い続けていれば届くんだなって。周りの方やスタッフさんに支えていただいて、この会場を決めていただいたのは、本当に感謝の気持ちでした」
しかし、開催が決定した後に、Uruは心と身体のバランスを崩してしまう。歌うことのできない日々が続き、公演中止が何度も頭によぎった。 「コロナ禍で誰にも会えない、不安な気持ちを直接顔を見て話せない期間でもありましたし、自分の中でいろんなものが膨らんできて。私の身体に今何が起こっているのかが自分でもよくわからなくて、歌うどころか、立つこともままならない感じでした。せっかく東京国際フォーラムでのライブが決まったのに、今の状態じゃ絶対に無理だと思って。もしかしたら歌えなくなるかもしれないという不安もありました」 体調は少しずつ回復していったが、Uruは公演当日まで不安が拭えなかったという。 「1曲歌えるようになったらマネージャーさんに『今日は1曲歌えました』って連絡をして、それがだんだん『今日は3曲歌えました』とかになって。初めてゲネリハをしたときに、全曲通して無事終わることができて、そのときに『もしかしたらできるかもしれない』と初めて思いました。でも、当日のステージ直前まで、本当にどうなるか自分でもわからなかったです」