オシム流経営術と「フリューゲルスの悲劇」OBではない元Jリーガーがアビスパ福岡の社長になったワケ 観客増、人件費のアイデアも
元日本代表でセレッソ大阪のレジェンド、森島寛晃社長や、北海道コンサドーレ札幌の社長からJリーグのトップになった野々村芳和チェアマンら元Jリーガーがクラブに社長の就任することも珍しくなくなった。だが、現役時代に所属していなかったクラブの社長になるのは異例ではないか。J1アビスパ福岡の結城耕造社長だ。2002年にジェフユナイテッド市原(現市原・千葉)に加入。サンフレッチェ広島やドイツのデュッセルドルフでもプレーした。結城元選手はなぜ福岡の社長になったのか。 ■「プジョル」魂、小田バックヘッド弾【動画】 まずプロ入りの道筋も異例だ。2浪の末に一般入試で早大に入り、在学中に市原と契約した。その浪人中にあった衝撃的な出来事が今につながる。「高校時代に横浜フリューゲルス(の下部組織)にいたんですけど、マリノスと吸収合併して消滅してしまって」。 親会社の経営不振に端を発し、高校時代に汗を流したチームがなくなり、トップチームの選手、下部組織の子どもたちがプレーする場に困る光景を目にし「経営、ビジネスが世の中に与える影響はすごく大きい。それで将来、そういう道に進みたいという思いが強くなりました」と経営者を志したきっかけを語った。 現役引退後に早大に復学して卒業。教育関係の企業に就職した後、早大の大学院で経営を学んだ。大学院を卒業するタイミングでアビスパ福岡の筆頭株主であるシステムソフトを抱えるアパマンショップグループの大村浩次社長と知り合い、17年にアパマングループに入った。 「創業者の近くで働きたいという思いがありました。それで新規事業もいろいろやっているアパマンを選びました。もちろん、将来的にはアビスパに関わりたいという思いも持ちながら入ったということです」。 アパマンのグループ会社の社長などを経てシステムソフトの副社長に。今年4月25日の株主総会でアビスパ福岡の社長に就任した。社長としての組織づくりで心に刻むのは市原時代に指導を受けたオシム元監督の教えだ。 「社員、選手(の意識)を変え、組織を変え、リーダーシップを発揮して強くしていったのを目の当たりにした。目標を共通認識にして、そのためにはどういう道筋を立てて、どういうトレーニングをして、どういうメンタリティで、というのを毎日のように言われ続けた。それで組織が、ものすごく変わったのを(オシム監督と過ごした)4年間で感じた」 これを踏まえて「経営の課題の共通認識を隠さずに社員たちに話し『今やらなければいけない』と伝えることでみんなの力をそこに集中していく。適材適所に人を配置して、みんなの力でやろうという仕組みづくりが必要と思っています」と意気込みを話した。 福岡は23年度(23年2月~24年1月)決算で5期連続で赤字を計上。3億9900万円の債務超過を発表した。「J1の平均に比べて、広告協賛が劣っています。そこをまず拡大しなければいけない。そこの人員を増やし、投資していかなきゃいけない」とビジョンを明かした。 平均1万人を割っているホームゲームの入場者数については「(チームと市民の)接点を多くしていかないと。何かの体験を一緒にすれば『あのお兄さんが頑張ってるから応援に行こう』とか、そういう思いになる」。さらに「他のチームの本拠地の駅はそのチームのカラーになっていますが、残念ながら博多駅などでアビスパを見ることはほとんどない。そういう面も少しづつ変えていきたい」と意欲を見せた。 支出の大きな部分を占めるトップチームの人件費は「減らしていくことは考えてないです。ただ、効率的な使い方があると思う。(新規獲得について)空いたポジションのいい選手だとかの感覚ではなくて、その選手がけがをしやすいとか、そういうところもしっかりデータを見ながらやって、費用対効果というところをしっかり考えなければ」と考えを明かした。 「まず今年度の黒字については順調に進んでいますので必ず達成します。債務超過のところは広告(収入)、入場料(収入)を増やし、第3の手として、増資を考えるタイミングにあるかもしれない」と説明した。 現役時代はオシム元監督の下でセンターバックとしてルヴァン・カップ(当時ヤマザキ・ナビスコカップ)2連覇を経験。05年の初優勝時はPK戦となり「6番目のキッカーになっていて、5番目の巻(誠一郎)が決めて、自分に出番が回ってこなくてホッとしたのを覚えています」と笑った。 福岡も昨季、ルヴァン・カップを制覇。「すごくたくましく、自信を持ってやっている。これから先にさらに可能性があると思っています。それは(ルヴァンを制覇した)成功体験。オシムさんがよく言ってたのが、日本人は失敗から学べって言うけど、成功から学ぶ方が圧倒的に多いって」 現在はサッカーボールを蹴ることはほとんどない。22年のオシム監督の追悼試合の試合前のアップで左ふくらはぎを肉離れ。「それぐらい我慢しろと言われて試合に出たんですが、5分ぐらいで痛くて我慢できなくなって…」。それ以来、「もう全然(サッカーは)していません」。3歳の娘と遊ぶのが癒やしの時間だ。 横浜市出身。福岡の長谷部茂利監督はジェフ時代のチームメートで偶然にも小学校時代にサッカーをしていたFC本郷(横浜市)の先輩でもある。「小学生の時に、長谷部さんが活躍された全国高校選手権とか大学生の時の試合とか応援にいっていた」という縁がある。 社長就任が決まり、その長谷部監督と会うと、「『おっ社長』みたいな感じの冗談」を言われたことを明かして笑った。(向吉三郎)
西日本新聞社