負の歴史も… ファッションや芸術の発信地“吉原”の美が集まる展覧会
東京・上野にある東京藝術大学大学美術館で「大吉原展」が開かれています。江戸時代のファッションや芸術の発信地だった遊廓地、吉原。華やかな日本文化が集まる場であるとともに、負の歴史も背負う吉原をテーマにした異色の展覧会について、専門家のお話や展示風景などをレポートします。 【画像】江戸時代にタイムスリップ!? 吉原文化の光と影を感じる作品はコチラ。
文化発信と売買春の場所…
【女子的アートナビ】vol. 330 本展では、江戸時代に約250年も続いた幕府公認の遊廓・吉原で発達した江戸文化や芸術などについて、国内外からの名品で紹介。大英博物館や千葉市美術館、細見美術館などが所蔵する浮世絵や美人画などの絵画をはじめ、工芸品や着物なども展示されています。 そもそも吉原とは、どんな場所だったのでしょう? 江戸幕府が1617年に遊廓として許可した吉原は、最初は現在の東京都中央区・人形町にありました。1657年、明暦の大火を機に吉原は台東区・千束に移転。日本の代表的な遊廓として繁栄しましたが、明治以降は衰退し、1958年の売春防止法により消滅しました。 プレス内覧会では、本展学術顧問で法政大学名誉教授の田中優子先生から、展覧会の趣旨などについて詳しい説明がありました。以下、要約してお伝えします。 田中先生 吉原は、文学や絵画、工芸などさまざまなものが生まれた場所です。遊女たちはすばらしい着物を身につけ、絵師たちは深い関心と尊敬の念をもって彼女たちを描いています。吉原は遊廓ですが、文化が凝縮し、新しい文化が生まれる拠点にもなっていたという側面は、日本の文化史において見過ごしてはならない点です。 しかし、吉原の経済基盤は売買春であり、膨大な借金を抱えた遊女たちが働かされていました。これは明らかに人権侵害です。遊廓という組織は二度と出現してはならない場所であり、その存在が現在に至るまで日本社会で「女性」についての固定観念をつくってしまったのは間違いのないことです。 日本文化の発信地であり、売買春の場でもあった吉原ですが、その片方を見ることによりもう片方を隠してしまうことに問題があると私は思います。両方があることを知ってください。なぜその両方が両立できたのか、それを考えつつ、吉原文化を見ていただきたいと思います。