「他者の文脈をシャットアウトしないこと」「仕事のノイズになるような知識を受け入れること」それこそが働きながら本を読む一歩だ
自分以外の文脈を配置する
あかりは究極的に自分の文脈のすべてを「推し」に集約させている。 しかし『推し、燃ゆ』という物語が面白いのは、自分の文脈すべてを集約させていた「推し」から離れる境地までを描いているところだ。 ふと、祖母を火葬したときのことを思い出した。人が燃える。肉が燃えて、骨になる。祖母が母を日本に引き留めたとき、母は何度も祖母に、あなたの自業自得でしょう、と言った。 母は散々、祖母にうちの子じゃないと言われて育ってきたらしい。今さら娘を引き留めるなんて、と泣いた。自業自得。自分の行いが自分に返ること。肉を削り骨になる、推しを推すことはあたしの業であるはずだった。一生涯かけて推したかった。それでもあたしは、死んでからのあたしは、あたし自身の骨を自分でひろうことはできないのだ。 「推し」を推すことは、自分の人生そのものであるはずだった。しかし─自分だけでは、自分は生きられない。そのことにあかりは直面する。自分の骨は、自分で拾えない。他者に拾ってもらわなくてはいけない。自分の人生から離れたところで生きている、他者を人生に引き込みながら、人は生きていかなくてはならない。 自分の人生の文脈を、「推し」とは違うところに配置しなくては、生きていけない。 自分の人生の文脈以外も、本当は、必要なのだ。人生には。 そうあかりは、悟るのだった。
仕事以外の文脈を思い出す
『ファスト教養』のなかでレジーは、ビジネス上のコミュニケーションのために音楽という情報を得ようとすることを批判的に語る。しかし一方で、ビジネスのために音楽という情報に触れることで、結果的に本来ノイズだった、ビジネス以外の文脈に触れることも─あるかもしれないのだ。 そう、映画を早送りで観ても、教養をビジネスのために利用しても、「推し」を仕事からの現実逃避のために推していても。それはもしかすると、自分の外側にあるノイズである文脈─遠いけれどいつかは自分に返ってくるかもしれない文脈─の入り口かもしれない。 たとえ入り口が何であれ、情報を得ているうちに、自分から遠く離れた他者の文脈に触れることはある。 たとえば面接のためにフリッパーズ・ギターを調べているうちに、昔の音楽を聴くようになるかもしれない。たとえば早送りで観たドラマをきっかけに、自分ではない誰かに感情移入するようになるかもしれない。たとえば自分の「推し」がきっかけで、他国の政治状況を知るかもしれない。 今の自分には関係のない、ノイズに、世界は溢れている。 その気になれば、入り口は何であれ、今の自分にはノイズになってしまうような─他者の文脈に触れることは、生きていればいくらでもあるのだ。 大切なのは、他者の文脈をシャットアウトしないことだ。 仕事のノイズになるような知識を、あえて受け入れる。 仕事以外の文脈を思い出すこと。そのノイズを、受け入れること。 それこそが、私たちが働きながら本を読む一歩なのではないだろうか。 写真/Shutterstock
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