福山雅治が地元・長崎で新たな伝説を刻んだ’24年
メジャーデビュー35周年を目前に控えるシンガーソングライター・福山雅治。そのバイタリティはいまだ健在だが、‘24年は例年にも増してライブ三昧な1年となった。4月から9月にかけて『WE’RE BROS.TOUR 2024』で全国35公演を完走。その間にはオフィシャルファンクラブ「BROS.」を25年間継続したファンに向けたプレミアムイベント『お前と密会』も開催。そして年末の12月26日から31日にかけては『福山☆冬の大感謝祭 其の二十二』がKアリーナ横浜で開催される。 充実の1年となった福山だが、秋には地元・長崎で、自身にとっても特別な記憶に残るステージに立った。10月13日に行われた長崎スタジアムシティのこけら落としイベント『Great Freedom』だ。
長崎に世界基準のスタジアムシティが誕生
長崎スタジアムシティは、地元を代表する企業であるジャパネットホールディングスが全額を拠出して誕生した、スタジアム・アリーナ・ホテル・ショッピングモール等が一体となった最新鋭大型複合施設だ。サッカーJ2のV・ファーレン長崎のホームスタジアムでもあるPEACE STADIUM Connected by SoftBankを中心に多くの人々が行き交う、長崎の新名所である。長崎駅からも徒歩でアクセスできる距離にあり、すぐ隣に稲佐山と浦上川を望む。そのロケーションも造りも、どこかヨーロッパの複合型スタジアムのようだ。そこで暮らす人々の日常に溶け合い、街のシンボルに、そして長崎の魅力を世界に届ける発信地となり得る施設なのだ。 そんなスタジアムの船出に、地元出身のスターである福山ほど適任の人物はいない。全国53万以上の応募の中から抽選で選ばれた約2万5千人の熱気渦巻く中、ライブの幕が開けた。
万感の想いを込め、全22曲を熱唱
オープニングアクトは福山の代表曲の1つでもある1995年のヒットナンバー『HELLO』。「ようこそ長崎へ!!」という力強い第一声と共に、ライブが始まった。その後『少年』『All My Loving』『聖域』『虹』『18 ~eighteen~』『Good Luck』と、エレキギターとアコースティックギターを持ち替えながら情感たっぷりに歌い上げていく。この日は序盤から、地元・長崎を飛び出して以降の自身の人生を振り返るような楽曲が並んだ。そこに込められていたのは、このプロジェクトへの並々ならぬ想いだった。 ジャパネットグループが推し進めてきた地域創生事業「長崎スタジアムシティプロジェクト」。福山が髙田旭人代表取締役社長兼CEOと手を取り、クリエイティブプロデューサーに就任したのは2年前の6月のことだった。以来、文字通り先頭に立ってこのプロジェクトを推進してきた。髙田社長と時には酒を酌み交わしながら、「伝説の日を創ろう」と語り合ったのだという。2年越しの想い、そして地元・長崎への想い。そんな様々な気持ちが交錯する万感のライブだったのだ。 「13歳でギターと出会い、18歳でギターを持って長崎を出ました。いま55歳になってこのスタジアムに立っています」 曲間のMCでも感慨深げにそう語った福山。その後も『家族になろうよ』『KISSして』『明日の☆SHOW』『桜坂』など、ヒットナンバーを含む全22曲を熱唱。最後は700発の打ち上げ花火が夜空を彩り、大団円を迎えた。この日はライブビューイングや生配信も含めると、実に31万人を超える人々がそのステージを見守った。2015年以来9年振りとなった地元凱旋ライブは、華々しい福山のキャリアの中でもひと際忘れられない1日となったことだろう。 故郷へ錦を飾ったシンガーソングライター・福山雅治。36年前、1本のギターを抱え夜行列車で街を飛び出した少年は、新たな伝説を刻んだ。 取材・文/福田 悠 【福田悠】 フリーライターとして雑誌、Webメディアに寄稿。サッカー、フットサル、芸能を中心に執筆する傍ら、MC業もこなす。2020年からABEMA Fリーグ中継(フットサル)の実況も務め、毎シーズン50試合以上を担当。2022年からはJ3·SC相模原のスタジアムMCも務めている。自身もフットサルの現役競技者で、東京都フットサルリーグ1部DREAM futsal parkでゴレイロとしてプレー(@yu_fukuda1129)
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