【動画】元関西テレビの桑原征平アナ、定年退職から10年。「征平の挑戦」はまだまだ続く/大阪
局アナ最後の仕事は経験少ないニュース。機長の真似してあいさつも
挑戦だけではなく、系列のキー局「フジテレビ」からの要請で「おはよう!ナイスデイ」の司会にも抜擢され2年間東京で暮らし、それをつとめあげた。「あの時は、豊田商事事件とか日航機墜落とかも担当したわ。ほんまにあっという間の2年間やったわ」と当時を振り返る。 後には「めざましテレビ」でも関西圏での中継レポーターとして定年前まで活躍。トラ柄のパンツをはいて、全国の達人と対決するコーナーも担当するなどした。 そして、定年を迎えた2004年5月14日。最後に挑戦というか、いつもと違うことをした。30年以上のアナウンサー生活で、20回も読んでいないニュースの原稿を読みたいと直訴。当時のアナウンス部長らが報道などに掛け合うなどの調整の結果、ニュースを担当することになった。「当時の社長が直談判でOKだしてくれましてん」 ニュースを読んだ後「私事ではありますが、関西テレビアナウンサー桑原征平は、只今のニュースを持ちまして関西テレビを定年退職致します。みなさま35年間、本当にありがとうございました」とあいさつ。これは異例のことで、当時はネットの掲示板でも話題となった。「これはな、定年前にとある飛行機に乗って、そこの機長が『私にとって最後のフライトです』って言うたのを聞いて、わしもやりたなってん。周りの人らが一生懸命調整してくれてありがたかったわ」 翌日には、定年退職記念特別番組「さらば征平!最後の挑戦」を生放送。南米ペルーへ行き「グッパイボーイに挑む」という最後の挑戦の模様を放送。局アナの定年退職で特番というのも異例だが、この番組は後に「2004年度日本民間放送連盟賞でテレビ番組部門のエンターテインメント番組最優秀賞」を受賞するなど、局アナとして「最後の花道」を飾った。
70歳になっても「征平の挑戦」はまだまだ続く
これだけの人気アナとあって、定年退職後の動向も当時は話題に。テレビ大阪の「征平・宮根のヨソ様の事情」を、当時ABC朝日放送(ABC)を退社したばかりだった宮根誠司アナと司会することが決まった。「けどな賞まで獲った男をヨソに出すわけにはいかんと、その番組が決まったことを知て関テレが、5年間専属契約っていう提案してくれてん。せやから優先的に関テレの番組へ出るようにした」と当時を振り返る。 そのため、ABCから人気番組「おはよう朝日 土曜日です!」司会の打診があったが、それを断った。しかし「じゃあうちはラジオがありますがどうですか?」と聞かれた。 先の契約ではラジオまでは効力がない。そこでその話しを受け、ABCラジオの「桑原征平 粋も甘いも」がスタートし現在も毎週水・木曜の午後12時から3時間、あの独特のダミ声でリスナーを楽しませ続けている。毎年販売するプロデュース弁当も、昨年は2週間で22万食を販売するという最高記録を打ち立てた。 同時に大阪芸大客員教授にも就任。このことは当時、全国紙の社会面でも報じられた。以来、多くの学生とも交流を持ち続け、こちらは今年度で定年を迎えるという。 征平アナは「思い返せば関西テレビで35年、現役アナウンサーやって、定年後に縁あってラジオに。10年ずっとしゃべりっぱなしや」と振り返る。 だが「人生70年。わし、どれだけネタありまっか。わし、あと50年はしゃべれまっせ。これやってたらボケへんねん」。最近では、radikoが全国でも聴けるようになり、ナイスデイを見ていた関東の人から「頑張ってますね」と番組にメールも来るようになり、埼玉からリスナーが訪ねてきたこともあったという。 定年から10年たっても、70歳になっても「征平の挑戦」は、まだまだ続きそうだ。