気に入らない裁判官の”再任拒否”は人事局の思いのまま…裁判所制度の諸改革を「悪用」する当局の実態
裁判官の人事評価システム
以上に関連して、司法制度改革に伴う裁判官評価制度の透明化の一環として設けられた評価書面開示、不服申立ての制度については、処遇に関する不満を感じて開示の申出を行ったある裁判官(確かに、私の目からみても十分に評価されていないように思われた)から聞いたところでは、きわめて型通りの好評価だけが記載されていたという(前記『司法官僚』141頁以下にもこれとおおむね同趣旨の記述がある)。 このことについては、実際の人事で重視されているのは、非公式の書面や口頭による情報、また、それらを総合して記載された個人別の人事書面であろうといわれている。 司法制度改革前のことであるが、私は、ある左派裁判官(その中で友人でもあった数少ない人物)から、「『いやあ、あんたの通知票はバツだらけのようだなあ。いっぱい書き込まれているらしいぞ』と〔以前から面識のあった〕所長から言われたよ」という話を聞いたことがある。右の所長の言葉は、前記の個人別人事書面の存在をうかがわせる。 つまり、裁判官評価に関する最も重要な書面は事務総局人事局に存在する絶対極秘の個人別人事書面なのであり、おそらく、そのことは、現在でも何ら変わっていない。したがって、裁判官の人事評価に関しては、表と裏の二重帳簿システムが採られている可能性が高いとみてよいだろう。常識的に考えても、裁判所のような組織であえて開示の申出を行うほどに不遇を感じている裁判官に関する「評価」が、前記のような型通りの好評価だけであるというのは、きわめて奇妙ではないだろうか? 『「イエスマンが出世していく人事」「教え子に甘すぎる無能教官」…裁判官の腐敗は“教育を受ける段階”からすでに始まっていた』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)