40周年を迎えた岸谷 香「この先もこれでいい」20代から変わらぬ音楽への思いを再発見
【音楽通信】第159回目に登場するのは、伝説のガールズバンド“プリプリ”こと「プリンセス プリンセス」のボーカリストを経てソロでも大活躍中のうえ、芸能活動40周年を迎えた、岸谷 香さん! 【画像】パワフルでカッコいい! 岸谷 香さんのショット集はコチラ。
>母のアップライトのピアノが音楽の縁をつなぐ
【音楽通信】vol.159 2024年、芸能活動40周年を迎えたミュージシャンでシンガーソングライターの岸谷 香さん。いまも年間30本以上のライブを行い、ポップでキャッチーな楽曲で多くの人たちから親しまれています。 ガールズバンドのパイオニアとして名高い「プリンセス プリンセス」のボーカリストとして1986年にデビュー以降、数々のミリオンヒット作を世に送り出し、1996年の日本武道館公演をもってバンドを解散後、2012年に東日本大震災復興支援のために1年限定でバンドを再結成したこともありました。 1996年には俳優の岸谷五朗さんと結婚。1997年には旧姓の「奥居 香」としてソロ活動をスタートした後に、アーティスト名を本名の「岸谷 香」に変更し、2014年には本格的なソロ活動を再スタート。さらに2018年にはガールズバンド「Unlock the girls(アンロック ザ ガールズ)」を結成するなど、バイタリティにあふれた活躍ぶりに元気をもらうファンのかたは多いようです。 そんな岸谷さんが、2024年7月24日に、ニューシングル「Beautiful」をリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。 ――芸能活動40周年となりましたね。 16歳のときにオーディションを受けて音楽家になってから、今年で40年です。途中、育児などで10年間活動を休んでいるので実質的には30年ですが、これまであまりにいろんなことがあったから、たくさん生きてきたなとも実感していて。ひとことで言うと、「楽しいな、私の人生」と感謝しています。 ――そもそも幼いときに音楽にふれたきっかけは何でしたか? 家に母のお嫁入り道具だったアップライトのピアノがあって、生まれたときからピアノにふれていました。母にピアノを教えてもらって、それからピアノの先生に習うようになって。それ以外はとくに家で音楽を聴く習慣はなかったので、母のピアノがなかったら、音楽をしようとは思わなかったかもしれません。 ――お母さまからの音楽のご縁なんですね。そして中学ではバンドをやるようになられて。 小学校では合唱大会や学芸会で伴奏していましたし、国立大学の附属の学校だったから同級生はそのまま進級するので、中学校でも“ピアノが弾ける子”だとみんな知っていて、先輩から誘われたことがきっかけでバンドを始めました。 ――プロを目指したのはいつ頃だったのでしょうか。 もともと明確にプロになると考えていなくて。思えば、そういう人生になると決められて生まれてきたんだろうなっていうぐらい、気がついたら音楽をやっていた感じなんです。もちろんオーディションは自分で受けたんですが、その時期は高校受験を失敗して、行きたくない学校だったので、やめる口実としてオーディションを受けたら受かったんです。 ――きっと音楽の道に導かれたんですね。 振り返ると、あのときは音楽しかなかったんだろうと思うんですが、よく16歳で音楽をやる環境が整ったなと。さらに、両親は私の選択によく「イエス」と言ったなというのは、いまも最大の謎です。 ――その後、プリンセス プリンセス時代は非常にお忙しかったのでは? そうですね。16歳で芸能活動を始めたときはよくわからないアイドルバンド(プリンセス プリンセスの前身バンド時代)だったので、世間には箸にも棒にもひっかからなくて、高校のクラスのなかでも私がバンドをやっていることはなんとなくしか知られていなくて。芸能人が多く通う高校だったので、同級生には少年隊やシブガキ隊、三田寛子さんなどもいましたね。だから、たまにバンドで歌番組に出るのも、クラスメイトがいっぱいいてイヤだなあと思っていました。 プリンセス プリンセス時代は、ただひたすら楽しかったです。思いのままに作った曲が年間1位になったり、ライブにお客さんがいっぱい来てくれたり。その反面、プリプリの存在がすごく大きすぎて、できないこともたくさんあったんです。いまのようにフェスやコラボが盛んではない時代ですし、簡単にイベント出演もできない時代でした。20代のすべてをプリプリとして駆け抜けて大満足だったので、円満に解散という形になったんですよね。その後、50代になって、こんなふうに音楽活動をしているとはまったく想像していませんでした。