「物語でしか語れないことがある」 紫式部が源氏物語に込めた思いは 当時の〝物語〟の立ち位置
政治的な要請で書かれ続けた
水野:11世紀初めごろに書かれたという源氏物語。紫式部が結婚した夫に先立たれた悲しさで書き始めたという説も読みました。 たらればさん:源氏物語の創作時期は、はっきりは分かっていませんが、作者が20代後半、夫を亡くした頃、または宮中に仕え始めた頃から書き始めた、もしくは完成に近づいていったとされています。 ただ、ひとつ確実に分かっていることがあって、それは「源氏物語は、政治的な要請で書かれ続けた」ということです。 藤原道長という当時最大の権力者からのバックアップがないと、これだけの手間と時間をかけることはできないし、物理的にも書く場所と紙、すずり・筆・墨は用意できないですからね。 この作品は、当時の政治による強い影響のもとでつくられている、ということは間違いありません。 水野:紙なども貴重な時代ですもんね。 たらればさん:大野晋さんと丸谷才一さんの「光る源氏の物語」(中公文庫)という解説本によると、紫式部は下級貴族の娘であり、主人公は臣籍降下したとはいえ帝の第2王子で最上級貴族なわけです。 その最上級貴族が、たとえば東宮の未亡人である六条御息所など、高貴な女性と何をどう話したか、姫君同士がどんな嫉妬をしたか、高貴な女性が夜の営みを終えて朝を迎えたときどう振る舞うかを、本来、紫式部は知る機会がなかったはずなんですね。 ごく限られた人しか知り得ない振る舞いが、源氏物語には赤裸々に描かれている。 11世紀に、最上級王侯貴族の夜の営みについて、こんなに詳しく書かれた作品は世界中に存在しなかった、と上述の「光る源氏の物語」に書かれています。
「物語でしか語れないことがある」
水野:源氏物語が政治の道具として使われた…というのは、紫式部が仕えた藤原彰子さま(見上愛さん)のライバルが藤原定子さま(高畑充希さん)で、一条天皇に彰子さまのもとへ来てもらおうと、藤原道長がこの物語を用意した…ということなのでしょうか。 たらればさん:それが最もオーソドックスに語られている、源氏物語の執筆事情ですね。 天皇を後宮へ呼んで読んでもらうために新作を用意したというのと、作品について語り合うサロンみたいなものにしたかったんだと思います。 帝ですから、待っていればいずれ自分のところにも新刊(?)が回ってくるはずですが、そのうえで一条帝もきっと、「この作品について語りたい、いろんな人の意見や感想が知りたい」と思ったんだろうなと、そういう話でもあると思います。 水野:確かに、わたしたちが「光る君へ」や「源氏物語」について語っているみたいに「ここはどんな風に読んだ?」「この登場人物についてどう思う?」と語りたくなったんでしょうね。 たらればさん:当時、ハイカルチャーとしての文学はやはり「和歌」であり「漢詩」でした。そのなかで源氏物語という散文をベースにした創作物語が出てきて、それを「帝が読んだ」「帝に読んでもらうために捧げられた」ということが、当時、「物語の立場」をものすごく上げたはずなんですよね。 水野:「物語」はサブカルみたいな立ち位置だったんですね。 たらればさん:サブカルどころかもっと下に位置されていたというか、語るに足らないものだったのだと思います。 当時は、男性の日記が数多く残っているんですね。藤原道長の「御堂関白記」もそうですし、藤原行成「権記」、ロバート秋山さんが演じる藤原実資も「小右記」を残しています。そういった「古記録」には、「物語」の話はまったく出てきません。 また、「光る君へ」で町田啓太さんが演じる藤原公任は当時一級の文化人として「三船の才(さんせんのさい)」と言われていますが、その「三」は漢詩・和歌・管弦です。 水野:そうか…。 たらればさん:紫式部もそれは意識していて、源氏物語内でも「物語論」が語られます。 奈良・平安時代には律令国家の正史として「六国史」が編纂されますが、そうした「記録」や「事実の羅列」とは別に、「物語でしか語れない、伝えることができない事象がある」と光源氏が言うんですね。 これはたとえば、誰かを愛するとか勇気を振り絞るとか、もうちょっと抽象的に言うと「恋」とか「正義」とか「郷愁」とか「哀切」とか、こういう概念的なものって、記録だけをいくら読んでも分からないところがありますよね。そこで誰かのエピソードを聞いたり、物語を読んだりすれば、すぐに伝えられる。 水野:たしかに、物語を通してしか描けない・伝えられない出来事もあるなぁと思いますね。 たらればさん:「いったん物語を介する」という言い方がいいのかな。同様のことを村上春樹さんもエッセイで書いていて、これは「物語論」という研究が積み重なってる分野なんですけど、おそらく紫式部はそういう思いを持っていたのだろうなと思います。 当時、物語は下に見られていましたから、そういった風潮への怒りもあったんでしょうね。 水野:源氏物語に出てくる六条御息所の「呪うほど狂おしく思う」とか、記録にはなかなか残せないですよね。 たらればさん:藤原実資の「小右記」とかを読むと、彼は結構ぶつぶつ書いてますけどね(笑)。