金融の自由を求めて──答えはステーブルコインではなく、ビットコイン
我々は最近では、テザー(Tether)のUSDTやサークル(Circle)のUSDコイン(USDC)のようなステーブルコインが重要なツールとなっている現実世界でのシナリオを目の当たりにしている。 例えばトルコでは、高インフレによって、市民はこれらのデジタル資産を不安定な自国通貨に対するヘッジとして受け入れている。 ステーブルコインは、伝統的な金融システムの制約からの解放を約束するものだが、実際にこの約束をどれだけ実現できるかは、自由をどのように定義するかにかかっている。 政治学の文献に登場する自由のさまざまな定義に照らしてステーブルコインを見ると、この新しい通貨の形態は物足りない。 個人の自由に関して、なぜステーブルコインでは物足りないのか、そしてなぜビットコイン(BTC)は成功するのかを理解するためには、数人の政治哲学者と彼らが自由をどのように定義しているのかを知ることが役に立つ。
自由の3つの定義
ロシア系イギリス人の政治理論家アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)氏と、彼の代表論文『二つの自由概念』から始めよう。その中で彼は、自由は主に消極的自由と積極的自由の2つの形で理解できると主張した。消極的自由とは、しばしば「自由主義的自由」と呼ばれ、干渉や障壁がないことを指す。つまり、放っておかれることである。 対照的に積極的自由は、目標や可能性を実現するために積極的に自由を行使することに焦点を当てる。 また「共和主義的」あるいは「ネオ・ローマ主義的」な自由の概念という第3の選択肢もあり、これは、これら両方の解釈を踏まえてガバナンスについて問題を提起するものだ。 アイルランドの哲学者フィリップ・ペティット(Phillip Pettit)氏はこの分野のパイオニアであり、共和的自由とは支配の不在であると強調し、後のイギリスの知識人歴史家クェンティン・スキナー(Quentin Skinner)氏は依存からの自由を強調した。 両者に言わせると、自分の生活に干渉できる恣意的な権力が存在するだけで、人は自由にはなれない。 暗号資産(仮想通貨)の話に戻る前に、別の方法で自由を見てみよう。ドアを例えに使ったものだ。 消極的自由とは、選択できる多くのドアを持つことであり、積極的自由とは、選択したドアを通り抜けることだ。共和的自由は、もうひとつのレイヤーをもたらすもので、門番のいないドアがたくさんあるようなものだ。 この意味では、誰にも邪魔されない限り自由なのだ。これは前述の自由主義的な自由の概念に似ているが、共和主義的な観点からは、干渉される可能性があるというだけで、すでに自由が制限されている。言い換えれば、この門番を管理するためには、まず消極的自由を確保するためだけに積極的自由が必要となる。