秩父夜祭の終わり告げる「旗竿下ろし」 のぼり旗を支え役目を果たす
秩父神社例大祭が12月1日~6日に行われ、御旅所付近(秩父市熊木町)で12月8日、祭りを締めくくる旗竿(はたざお)下ろしが行われた。(秩父経済新聞) 【写真】旗竿の長さは飾りまで含めると約20メートル 旗竿は10メートルを超える幟旗(のぼりばた)を揚げるためのもので、例大祭の準備として11月24日に設置された。幟旗は熊木町、野坂町、日野田町の3町会から成る「上郷(うわごう)」が奉納しており、12月1日に揚げて、夜祭を終えた4日に下ろされた。幟旗には、江戸時代の書家で本町の阿佐美家5代目・浅見(阿佐美)古聞の書が使われており、現在の幟旗は1967(昭和42)年に阿佐美家が制作したもの。 それぞれの旗竿は、祭りの山車が駆け上がるルートに設置していた。日野田町は団子坂下の踏切の両脇(長さ14.57メートル)、野坂町は団子坂上の両脇(12.46メートル)、熊木町は亀の子石のある斎場の両脇(13.03メートル)。旗竿の上部には幟旗をつるすための腕木を取り付け、さらにその上に飾りを付けるため、全長は20メートルほどにもなる。 日野田町の旗竿は御花畑駅真横の市道に立てられており、期間中は道路のふたを外して穴を露出させ、支柱を固定していた。旗竿下ろし後にはふたを元に戻し、コーキング剤でしっかりと固定して作業を完了させた。作業は8時30分に熊木町で始まり、途中で重機のワイヤが絡まるトラブルが発生したものの、10時50分には収納庫に運び入れ、全ての作業が無事に終了した。 旗竿のつり上げには「守屋石材店」(熊木町)の重機が使われた。同店代表の守屋武久さんは「30年くらい前は旗竿をひもで引っ張り、全て人の手で立てていた。町の青年部も総出で作業をした。旗竿も会場に近いところに保管するのではなく、各町会に担いで持ち帰っていた」と当時を振り返る。 現在使っている旗竿は2000(平成12)年に大滝栃本地区で伐採したヒノキを素材としている。「山中工務店」(上町)が乾燥や矯正を施した上で柱として使えるよう加工したもので、2003(平成15)年から使っている。それぞれの町会が奉納する旗竿は同時期に作られたが、上部の飾りや運搬方法には違いがある。 熊木町は竹の葉のみを飾りに使い、旗竿を台車で運搬。野坂町は寺尾地区の竹とカシの葉を飾りに使い、旗竿を手で運搬した。日野田町は町内の竹とカシの葉を使い、団子坂の下から2度に分けて台車で運搬。野坂町の町田清次町会長は「カシと竹は町会の役員の実家がある寺尾のものを使っている。旗竿の長さがそれぞれ異なるので、飾りで上の高さがなるべく、そろうようにしている」と話す。 熊木町の田代勝三町会長は「祭りがあることで町がまとまる。今月中には来年7月の川瀬祭りに使う竹を取りに行き、準備が始まる」、日野田町の山本和勇町会長は「祭り期間中は幟旗が強風であおられることで旗竿が倒れないか心配していた。旗竿下ろしが終わると、これで秩父夜祭が終わったなと感じる」と話した。
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