三上博史「“向いてないんだな”と思ってずっと避けてきた」転機となった寺山修司の伝説的音楽劇
オフ・ブロードウェイで1997年に上演された『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』。性別適合手術を受けたロックシンガー、ヘドウィグの愛と自由を渇望する人生を、数々の名曲とともに描いた名作。日本での初演は2004年。このときヘドウィグを演じたのが三上博史さん。20年の時を超え、三上さんのヘドウィグがライブバージョンとして再び帰ってくることになった。作品との出会い、時を経て『ヘドウィグ~』が三上さん自身に与えたもの。そして三上さん自身の原点ともいえる寺山修司さんとの出会い。それぞれ熱を込め、語ってくれた。【第1回/全4回】 ■【画像】渋い横顔!インタビュー中、真剣な面持ちの三上博史さん■ 三上さんにとってこの『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』は、俳優人生の岐路に立った時期に出会った作品だという。 「もともと寺山修司さんから“お前は俺の演劇に出なくていいから”と言われて、僕はもう単純に“向いてないんだな”と思ってずっと舞台を避けてきたんです。 そして40歳で役者稼業を引退しようかなと思っていたときに、PARCO劇場で、『青ひげ公の城』という寺山没後20年記念公演のお話をいただいて。そこで“こんなに自由に泳げる場所があるんだ”という思いに至って、演劇に気持ちが傾倒していくことになりました。 『青ひげ公の城』が終わって、アメリカの西海岸にアパートを借りて暮らしていたんですけど、たまたま小さな町のふらりと入った劇場でこの『ヘドウィグ~』を観ました。全く予備知識もなかったのですが、作品の音楽がすごく印象に残って。“あ、これは20代、30代でやってきた自分の音楽活動のバンドでやったら、すごくいいだろうな”と思ったんです」
「板の上にいても」伝わってきた客席の熱量
2004年、三上博史さん主演で『ヘドウィグ~』が日本で上演されることになる。公演を重ねる中で、今までにない手ごたえを感じていたという。 「日々、客席側の熱が盛り上がってきた感覚があったんです。僕らは板の上にいても、その熱がどんどん増殖していくのが伝わってきました。 その後、再演もやらせてもらったんですけど、僕にとって大きな経験になりました。そこから20年経って、“ライブの形でやりませんか?”というお話をいただいて。考えてみたら、“音楽いいな”と思った最初に戻るっていうことだな、と思ったんです。20年前の“この楽曲をやりたい”という思いに戻るんだなって。 でも、『ヘドウィグ~』をずっと待ってくれている人たちもいるなかで、がっかりさせたくないという思いはあって、どういう形がいいのかだいぶ考えました。当時は10センチのヒールでやっていたんですけど、さすがに無理だろうって(笑)。でも、ライブの形で観客に届けられるものがあるとすれば、それを突き詰めたいなと思いました」