F1界から見た「厚底シューズ使用禁止騒動」
ナイキ社の厚底シューズ「ヴェイパーフライ」が、世界陸連によって使用禁止となる可能性を一部の海外メディアが報じたというニュースは、陸上競技界だけでなく、世界中のスポーツファンを揺るがす騒動に発展している。 男子マラソンの世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)は、自動車レースの最高峰であるフォーミュラワン(F1世界選手権)を例に出して、厚底シューズを禁止しようとする動きに対して、次のように反論した。 「フォーミュラワンではピレリ1社が全チームにタイヤを供給しているけど、チャンピオンとなったのはメルセデスだった。その理由は何か? それは強力なエンジンがあり優秀なドライバーがいるからだ。レースをしているのはドライバーであり、タイヤメーカーではない。マラソンも同じ。走っているのは選手で、シューズではないんだ」 キプチョゲが指摘したように、現在のF1はイタリアのタイヤメーカーであるピレリ1社が全チームにタイヤを供給している。 タイヤはF1マシンの中で唯一、路面と接地している重要なアイテムだ。いかにエンジンがパワフルでも、いかにドライバーがアクセルを踏んでも、路面と接地するタイヤをうまく使えなければければレースで勝つことはできない。タイヤがグリップしなければ、マシンは滑ってしまう。逆にグリップしすぎても、摩耗が早くなりタイヤは最後まで持たず、早々にタイヤ交換が必要となる。 そのような状況の中で、メルセデスは2014年から昨年まで6連覇を達成。そのうちの5回、チャンピオンに輝いたのが現役最強といわれるルイス・ハミルトンだ。
ナイキの厚底シューズの騒動も、これと似たような状況にある。陸上競技ではシューズは1社の独占供給ではないが、例えば、2020年箱根駅伝では84.3%(210人中177人)のランナーが昨年7月に一般発売されたナイキの厚底シューズを履いて出走していた。 優勝した青山学院大はアディダスとユニフォーム契約を結んでいたが、今回は、10人全員がナイキの厚底シューズを着用していたという。つまり、選手が自由にシューズを選べる状況にあり、結果的にランナーが履くシューズが1社に集中したという点でF1に似た状況だ。 つまり、ナイキの厚底シューズも、それを履けば誰でも大会で優勝できるわけではなく、そのシューズのアドバンテージを生かすことができる強靭な脚力と心肺能力がなければ勝つことはできない。 ナイキの厚底シューズは3万円以上と高額であることも指摘されている。世界陸連は「使用される靴は誰にでも比較的入手可能なものでなければならない」という規定を設けており、それが禁止の理由だという声もある。 かつてF1でも、マシンを軽量化するために高価な素材を使用してエンジンやギアボックスを製造していた時期があり、それが“持つもの”と“持たざるもの”の格差を広げ、F1から撤退したチームが相次いだことがあった。そこでF1を統括するFIA(国際自動車連盟)は、レギュレーション(F1マシンを作る規格)で高価な素材の使用を禁止したことがある。 ただし、これはF1マシンの開発が1台でも億単位の資金が必要で、それをチームは1チーム2台、年間数台用意しなければならないためで、ナイキの厚底シューズの「1足約3万円」という金額は、トップランナーだけでなく、一般の愛好家でも入手可能な金額。そもそもスポーツというのは多かれ少なかれ道具を使用しており、自分のパフォーマンスを向上させるために、少しでも高性能な道具をお金を出して手に入れるものだ。3万円が高価だというのなら、ほとんどのスポーツは成り立たなくなる。