イヴァン・リンスをフィーチュアして来日するリー・リトナー&デイヴ・グルーシン、ブラジル音楽との関わり
ブラジル音楽への橋渡しはセルジオ・メンデス!?
リー・リトナーとデイヴ・グルーシン。アメリカ合衆国のジャズ、フュージョン、ポップス界を代表するこのふたりの音楽家は、ブラジル音楽との関わりも年季が入っている。 そもそもリー・リトナーは「ファースト・コース」(1976年)でのソロ・デビューに先駆けて、ブラジル人ギタリスト、オスカー・カストロ・ネヴィスとの双頭名義でのデュオ作「ウン・エンコントロ(「邂逅」)」で、1974年にブラジルでアルバムデビューを果たしているくらいだ。 そんなリトナーとグルーシン、ブラジル音楽との接点は、グルーシンの方が早い。なんといってもグルーシンは、オーケストラのアレンジャーとして、セルジオ・メンデス&ブラジル’66~'77のサウンドを作り上げていたことでも知られる。 そして1974年、リトナーは、グルーシンがオーケストラ・アレンジを手掛けているセルジオ・メンデス&ブラジル ’77の「ヴィンテージ74」に収録された「迷信」の演奏に参加する。ちなみにリトナーは同年、ブラジル人鍵盤奏者モアシール・サントスがブルーノートから発表した「サウダージ」にも参加している。 どうやらリトナーとグルーシンは、セルジオ・メンデスを通じて親交を深めたようだ。 ところで、この「迷信」の演奏でリトナーとがっつり四つに組んだ演奏を聴かせたのが、セルジオ・メンデス&ブラジル'77のギタリストである、オスカー・カストロ・ネヴィスだ。 先述したオスカーとリトナーのデュオ作「ウン・エンコントロ(「邂逅」)」は、「ヴィンテージ74」と同じ1974年に発表されている。時系列は定かではないが、ふたりはセルジオ・メンデス&ブラジル'77のセッションを通じて親交を深めたと思われる。 このデュオ作は、奇跡的な縁で誕生した。 当時、ブラジルでもまだ広く知られていなかったリー・リトナーについて、アルバムの制作を手掛けたアロイージオ・ジ・オリヴェイラ(合衆国とブラジルの音楽の架け橋としても活躍したプロデューサー、音楽家)は、「(当時)23歳のリー・リトナーは、南カリフォルニア大学のクラシックギターの教師でもあり、ロスアンジェルスのスタジオで数多くのセッションで活躍する演奏家で、アコースティックギターの演奏はジャンゴ・ラインハルトを彷彿とさせる。そしてブラジルの音楽とリズムが大好き」と紹介している。 アロイージオによると、オスカーの友人であるリトナーが、休暇を共にリオで過ごすため渡伯(オスカーは一時帰国)。ある夜、共通の友人の家の集まりで、アロイージオは二人が演奏するのを聞いて、なんとかこの二人の演奏を録音したいと切望したという。しかし二人の休暇は残すところ2,3日だったため、アロイージオは急ぎオデオンに連絡したところ、その日の夜ならスタジオが空いているとのこと。急遽、オスカーとリトナーのデュオ演奏が録音されることとなったという。 スタジオには二人だけが入り、その日の夜の8時から翌朝3時までに15曲が録音された。オスカーの出発前夜に、アレンジャーとしても名高いオスカーの指揮のもとでドラム、ベース、エレクトリックピアノ、オルガンが加えられ、最終的に10曲がレコードに収録された。レコードはオデオン傘下でアロイージオが主宰する自主レーベル「オ・イベント」からの発売となっている。 いずれにせよ、ソロデビュー前のリトナーにとって、リオでのこの経験は思い出深いものとなったであろうし、その後も現在に至るまでブラジル音楽に親近感を持ち続けているきっかけに、充分なっているはずだ。 1979年、リトナーは日本制作の作品「リー・リトナー・イン・リオ」で再びリオデジャネイロ録音を慣行した。ここではルイザォン・マイア、アルマンド・マルサウなど現地の名手と共演。グルーシンもキーボード演奏で参加している。一説によるとリトナーがイヴァン・リンスのことを知ったのは、このときのリオ滞在中だったともいわれている。 そんなリー・リトナーとデイヴ・グルーシンがブラジル音楽に大きく接近したのが、1985年に発表された双頭名義作「ハーレクイーン」。収録曲「Early A.M. Attitude」は第28回グラミー賞で最優秀インストゥルメンタル編曲に輝いている。 このアルバムでフィーチュアされたのがイヴァン・リンスだ。作品の表題曲「ハーレクイーン」も、イヴァンが相棒ヴィトール・マルチンスともに描いた曲で原題は「アレルキン・デスコニェシード」。1980年のイヴァンのアルバム「ノーヴォ・テンポ」の収録曲だ。 加えて「ビフォー・イッツ・トゥー・レイト(アンチス・キ・セージャ・タルジ)」(イヴァンの79年作「ア・タルヂ」に収録)、「ビヨンド・ザ・ストーム(デポイス・ドス・テンポライス)」(イヴァンの83年作「デポイス・ドス・テンポライス」に収録)と、このアルバムには合計3曲、イヴァン&ヴィトールの曲が取り上げられ、イヴァン本人がヴォーカルを担当している。同年のスタジオ・ライヴ・アルバム「ライヴ・フロム・レコード・プラント」にもイヴァンはゲスト参加している。 その後もリトナー、グルーシン共にブラジル音楽と関わり続けてきたことは周知のとおり。リトナーはグルーシンが主宰するGRPから1989年に発売された「Color Rit」でもオスカー・カストロ・ネヴィスと共演している。 イヴァン、オスカー、リトナー、グルーシンは、1992年にトゥース・シールマンスの「ザ・ブラジル・プロジェクト」でも顔を合わせている。エドゥ・ロボ、カエターノ・ヴェローゾ、シコ・ブアルキ、ジャヴァン、ジョアン・ボスコ、ドリ・カイーミ、ミウトン・ナシメントなど早々たる顔ぶれがブラジルから参加した本作で、リトナーは、オスカー・カストロ・ネヴィス作「フェリシア・アンド・ビアンカ」でオスカーと共演。そして、トゥース・シールマンス作「ブルーゼット」(ポルトガル語歌詞はイヴァン・リンス)ではイヴァン、オスカー、リトナー、グルーシンの4人が共演した。 さて、イヴァン、リトナー、グルーシンは2004年に、リトナーのアンソロジー的な曲目のスタジオ・ライヴでも顔を合わせており、「ハーレクイーン」も演奏している。ライヴの模様はDVD/ブルーレイ「オーヴァータイム」に収録されている。 リトナーはブラジルでもたびたび演奏しているようだ。2015年には、ポルトガル語圏の国々を紹介するプロジェクト「アス・マルジェンス・オス・マーリス」の一環として、セスキ・サンパウロで開催された音楽イベントで、ブラジルイヴァン・リンスは、マネッカス・コスタ(ギニアビサウ)、アナ・バカリャウ(ポルトガル)、スチュワート・スクマ(モザンビーク)、マイラ・アンドラージ(カーボヴェルデ)をフィーチュアしたコンサートに、リー・リトナーも招聘している。 3人にとって思い出深い作品であることはもちろんだと思うが、「ハーレクイーン」は世界中の音楽ファンを永遠に魅了し続けている作品のようだ。2019年、ロンドンで開催されるプロムナード・コンサート・イベント「BBC プロムス」の日本版が、日本で開催されたときには、3夜目の“JAZZ from America(ジャズ・フロム・アメリカ)”で、一夜限りの「ハーレクイーン」リユニオン・バンドが公演を行った。もちろんメインはリトナー(ジャズ/ギター)、グルーシン(ジャズ/作・編曲、ピアノ)、イヴァン(ヴォーカル)だった。 そして時は過ぎて今年、2024年。リー・リトナーとデイヴ・グルーシンは、「ハーレクイーン」から40年を経て、またもイヴァン・リンスをゲストに迎えての双頭名義作「ブラジル」を発表した。 この「ブラジル」は、いろいろな面で、「ハーレクイーン」とは、対になっている。 イヴァンの参加という共通項はあるにせよ、「ハーレクイーン」が合衆国での録音、演奏陣もほぼ合衆国のジャズ~フュージョン界の面々(ブラジルからの参加は基本的にイヴァンのみ。パーカッションのパウリーニョ・ダ・コスタとコーラスのヘジーナ・ヴェルネッキは当時合衆国に滞在していた)、レパートリーもリトナーとグルーシンの曲が中心、そしてなによりサウンドの基本もフュージョンであった。対して「ブラジル」は、ブラジル録音が敢行され、演奏陣はリトナーとグルーシン、グレゴア・マレ以外はブラジル人、レパートリーは9曲中6曲がブラジルの作家によるもので、サウンドもブラジル音楽を基調としている。 参加メンバーもマニアックではあるが豪華だ。セウソ・フォンセカ(ヴォーカル)、シコ・ピニェイロ(ヴォーカル、ギター)、エドゥ・ヒベイロ(ドラムス)、ブルーノ・ミゴット(ベース)、マルセロ・コスタ(パーカッション)、タチアーナ・パーハ(ヴォーカル)。 このうち、セウソ・フォンセカとシコ・ピニェイロは共にジョイス・モレーノのゲストとして、ブルーノ・ミゴットは渡辺貞夫のバック演奏で、エドゥ・ヒベイロは自身のグループ、トリオ・コヘンチで(パキート・デリベラ&トリオ・コヘンチのセッション・ライヴ)で、来日してブルーノート東京に出演している。 そして今回、「ブラジル」を発表したリー・リトナー&デイヴ・グルーシンが、イヴァン・リンスを筆頭に、作品にかかわったブラジル人ミュージシャンと共に来日する。リー・リトナー & デイヴ・グルーシン with ブラジリアン・フレンズ featuring イヴァン・リンスと題された公演は、東京、川崎、大阪で開催される(いくつかの会場はすでにソールドアウト)。 ビルボードライヴ大阪 11月14日(木)、15日(金) ミューザ川崎シンフォニーホール 11月17日(日) ブルーノート東京 11月18日(月)、 11月19日(火)、11月20日(水)、11月21日(木) (文/麻生雅人)