【ドキュメンタリー】58年 無罪の先に-袴田事件と再審法- 世紀を超えた冤罪事件が問いかけるもの#2
“証拠開示”をめぐる検察との攻防
なぜ、もっと早くに証拠が開示されなかったのか? 私たちは1984年に始まった再審請求審の全記録を入手した。 これによれば、同年11月17日に行われた弁護人・検察・裁判官による三者協議で、弁護人が「未提出の証拠が現存するか否かを検察官において明らかにされたく。さらに、その提出を要望したい」と求めている。 だが、裁判官は「弁護人の求める証拠について裁判所から提出命令は発しないことにしているが、検察官の意見を求める」と返し、検察官もまた「回答するかどうかを含めて検討する」と曖昧な答えに終始した。 当時、裁判官として再審請求審を担当していた前出の熊田は「証拠開示をしなさいということについての法的な規定が全然なく、検察官にも証拠の開示義務が定められていなかったので、全く力がないというか、証拠開示についてあれこれ言っても全然効力がなかった」と話す。 熊田が言うように刑事訴訟法の再審規定、いわゆる“再審法”には証拠開示に関する規定がない上に、いつまでに協議を終わらせるのかという期日に関する規定もない。 このため、検察は「3月中旬頃まで猶予願いたい」(1985年2月21)、「6月15日までに回答できるかどうか目途は立たない」(同年5月30日)と引き延ばしにかかった挙句、「検察官は弁護人からなされた未提出証拠の提出要望に対し、これに応ずる意思はない」(同年7月23日)と拒否。 熊田は「検察官には証拠があったとしても、出して、それがどんな風に利用され、検察庁にとって不利な認定がなされるのかということをものすごくおそれていた。だから、一切出さないという姿勢が強かった」と証言する。
検察が方針を変えた2つの出来事
それなのになぜ、再審請求から29年経って、これまで1点も開示されなかった証拠が突如として開示されたのか? 弁護団の事務局長を務める小川秀世によれば「検察官が転任する時、(2010年)2月だったと思うが、『転任することになりました』と。『上の方針が変わったから、証拠開示について今まで消極的だったが前向きに検討しますから期待してください』」と電話がかかってきたといい、5月28日に行われた三者協議で検察はついに「検察官は公益の代表者でもあるので、裁判所の審理にできる限り協力すべきであると考えており、開示できる証拠は任意に開示したい」と“折れた”。 気になるのは検察庁の方針が突然変わった理由だが、その裏には2010年に起きた検察の信頼を揺るがす事件の存在がある。 大阪地検特捜部の主任検事が証拠として押収したフロッピーディスクのデータを改ざんしたとして逮捕されたもので、元検察幹部は「検察の今までのやり方をすべて是とするを前提にする、あるいはそれを守り続ける空気は無くなって、やっぱり1つ1つ考えようという方向になった」と方針変更に影響を与えた可能性を示唆。 一方、2009年に始まった裁判員裁判との関係性を指摘するのが成城大学の教授・指宿信で、「裁判員裁判で市民に負担をかけるのであれば、短期間に裁判を終了させる必要がある。これまでのように法曹三者だけでじっくりと手続きを進めるわけにはいかない。では、裁判員裁判では検察が持っている証拠については類型として分類できるものは求めがあれば開示する、そうでないものは個々に検討すると初めて法整備がされた」と説明する。 (テレビ静岡)
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