「ずっと避けてきた……」いとうせいこうが「能」にドはまりした“意外な理由”
それですぐ『謡曲(ようきょく)百番』(西野春雄校注、岩波書店)を買った。一日に何話かずつ楽しみに読んだ。読み終えると別の謡全集を買った。舞台を観ると大変に長いのが能である。がしかし、読めば時間は私次第となる。そこでむしろ私は、引き伸ばされた言葉の中でこそ掛詞が二重三重の映像を引き連れてくることを体感したし、シテやワキの言葉が互いに重なったり、地謡(じうたい)に奪い取られたりする「文体」に自由間接話法のような感触を得たりした。 私は能好きの中でも珍しい、ブッキッシュなファンであった。 謡が面白い。 そして謡は読むのが面白い。 そう思いながらも同時に私は、すぐに習ってみたいと思い始めていた。読書中に幾つも仮説が出てくるが、私には誰かに確かめるすべもなく、しかもそれらの多くは体感で実証されねばならないことばかりだった。 そうした折、もし自分が能を習うならこの師匠しかいないという人がいた。下掛宝生(しもがかりほうしょう)流の安田登さんである。私が私淑(ししゅく)し続けている松岡正剛さんのイベントでお会いしたはずで、その話の範囲の広さや深さは並みいる知識人の中でも群を抜いていた。日本をただ漫然と誉め称える人でなく、中国には中国の、イランにはイランのという風に深い見識で核心を見ていられた。つまり武張ることのない能が、そこにはあった。 これまた不思議な縁だが、私が習いたがっているということが伝わったのか(当時私はやりたいことはなんでもSNSに書いていた)、まったくの偶然か、仲介にまだ知人ではなかった日本美術評論家の橋本麻里さんが立ち、弟子入り可の連絡があったのは間もなくのことであった。 それで念願のお稽古が始まった。東京っ子漱石も習っていたという下掛宝生流の数少ない弟子の一人が私で、会の名を「流れの会」と付けたのも私である。なんだか流れで始まったから。 さて、もうひとつ書いておかねばいけない出会いがある。新訳を共に続けてきたジェイ・ルービンさんとは、宝生流の若き宗家(そうけ)・宝生和英(かずふさ)氏の企画で初めて顔を合わせた。舞台前面に特殊な薄い紗幕をおろし、そこに『羽衣(はごろも)』現代語訳と英訳の中から印象的なフレーズを引用して映す。同時に風や波などの抽象的なパターンも投影される。その向こうで宗家が舞うというプロジェクトである。 ジェイさんは日本文学翻訳で大変に高名な方だが、話してみると私と仲よくなるべき重要な共通点を持っていた。 彼もまた、能を読むのが面白いと考える少数派の一人だったのである。 そのうちジェイさんが毎年日本にいらっしゃる際の気の置けないホームパーティなどにお呼ばれし、ほんの少しの間ずつしゃべってみたりするうち、好きな能の演目を二人で翻訳してみようということになった。あくまでも互いの趣味、遊びとしてだからプレッシャーはゼロ。むしろそういう原稿こそはかどるのは物書きの常で、始めてから一年半ほどで五つくらいの能が訳された。 さて、しかしその訳が合っているのかどうか、私は気になってきた。私の訳をジェイさんが英訳しているので、責任は重大である。 となれば新潮社の校閲だろう、と私は思った。もともとこれは共同作業だから、是非とも校閲の皆さんの力をお借りしよう、と。 しかも話を持っていった先の新潮社足立真穂さんは「流れの会」の創設メンバーであり、橋本麻里さんと二人で会の間口をガシガシ広げてきた女性だった。 ということで自然なネットワークとして始まったこの翻訳プロジェクトによって、「能は読むのが面白い」と思う少数派が増加することを願っている。これは能を平たい議論のプロセスに置く方法としても有効だと思う。 (『能十番 新しい能の読み方』から、一部抜粋・再編集しました。)