角盈男は地獄の伊東キャンプでオーバースローからサイドスロー転向を決断 「何球でも投げられる」
「当然、ピッチャーで勝負させてくれた会社への恩義もあるし、実質1年しかピッチャーをやってないから自信もない。だから事前に『指名します』って会社にあいさつに来たんだけど、僕はドラフトの前に"プロに入らない宣言"をしていたんですよ。そしたら、ドラフト後に巨人の方があいさつに来て、『いま入らなくていいですよ。次の年に入ってくれればいい』って言われて」 巨人が得た角との交渉権は、77年のドラフト前々日まで有効。同年の都市対抗では電電中国に補強された角は、1回戦の大昭和製紙戦に先発。チームが2対3と惜敗したなか、角自身は7回5安打1失点と好投している。快速球が最大の武器で、183センチの長身から投げ下ろす本格派左腕は、満を持してプロの世界に入った──。入団保留の経緯からすれば、そう受け取れる。 「いや、僕は何も実績なんて残してないですから。都市対抗で完封って言っても、練習試合とか全部含めてその1試合しかない。だから僕は、『巨人の星』ファンで、巨人一色で、憧れとともに入って、一番びっくりしたのはキャンプに行って先輩たちが投げているのを見た時。みんなミット構えたとこにボール行くのに、僕は全然。『うわぁーすごいな、えらいとこに入ってしまったな』と」 【60試合登板で新人王に選出】 それでも一軍キャンプで始動できた理由は、左投手の少なさだった。来日3年目のクライド・ライトを除く日本人投手は、エース格の新浦寿夫と広島から移籍して3年目の小俣進のみ。必然的に、角は小俣をターゲットにした。2年連続2ケタ勝利の新浦は無理でも、まだ実績に乏しい中継ぎの小俣なら「追いつき、追い越せはできる」と思えたという。 「新浦さんを見てたらパニックになりそうだったけど、小俣さんに勝てば一軍に残れるんじゃないかって。だから逆に言えば、小俣さんがいなかったら、僕は押しつぶされて死んでいたかもしれない。ただ、先発かリリーフかなんて何も考えなかったですよ。僕はエリートじゃないですから。まず一軍に残って、言われたところで投げる。それだけでしたね」