大谷翔平が考える“10年後の大谷翔平”
BOSSから新たな大谷翔平のコレクションが4月5日に発表される。そのキャンペーンビジュアルの撮影に『GQ JAPAN』が同行。独占インタビューを行った。 【写真を見る】BOSSを着こなす大谷翔平
彼がやってきた
11月とはいえ、ロサンゼルスの空は晴れ渡り日差しは強い。彼は時間通りにスタジオにやってきた。BOSSのロゴ入りキャップに白いTシャツ、デニム、スニーカー。目の前で見ると、想像以上に大きい。 「今日はよろしくおねがいします」。そう声をかけると、彼はニッコリと笑い、「こちらこそよろしくおねがいします」といった。 1年間、日本中が夢中になって追いかけた大谷翔平がそこにいた。2023年は、大谷翔平の年だった。3月20日、フロリダ州マイアミのローンデポ・パークで開催されたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝戦。侍ジャパンのクローザーとしてマウンドに登った大谷が投じた最後の1球。水平方向に43.2センチという驚異的な変化を見せたスイーパーに、エンゼルスの同僚であり、メジャー屈指の好打者マイク・トラウトのバットが空を切った。吠える大谷。グローブとキャップを投げ、チームメイトと抱き合う。名シーンとして長く語られるであろうこの瞬間の、主役は間違いなく大谷翔平だった。9月に脇腹を痛めて故障者リスト入り。そのままシーズンを終えたものの、打者として打率.304、44本塁打、95打点、20盗塁、投手として10勝5敗、防御率3.14、167 奪三振という成績を残し、アメリカン・リーグ本塁打王、MVPなど数え切れないほどの栄誉を手に入れた。 日本のマスコミはWBC開幕前から大谷の動向を報じ続けた。大谷がチームを離脱すると、2024年のシーズンに向けた移籍に関する報道がスタート。MVP獲得や全国の小学生にグローブをプレゼントした件なども大きく報じられた。 「僕のMVP受賞や犬のことなどが盛り上がっているんですよね。日本で流れるニュースはほとんど見ないんですが、大きく取り上げられていると聞いて、すごく平和だなと思いました(笑)」。インタビューが行われたのは、そんなシーズンオフの1日。MVPが発表された翌日だった。彼が2020年以来ブランドアンバサダーをつとめるBOSSから発表される初のカプセルコレクション“BOSS × SHOHEI OHTANI”の撮影が行われるということで、急遽渡米。スタジオのメイクルームでインタビューを行った。毎日のように見ていたユニフォーム姿とは違うリラックスした表情。心なしかカラダも大きい。 「今は右肘の手術後で、結構食べるようにしているので大きくなっています。ここからシーズンに向けて絞っていくので、時期によって1サイズくらい変わってくるはずです。スーツは日本とアメリカに5着ずつくらいありますが、まだ着られるのかな? 年々体型も変わっているので、着られなくなるものもあるんですよ」 故障により予定より早く、9月にシーズンが終わった。そしてすぐに受けたのが右肘の靭帯修復手術。ピッチャーとして復帰できるのは、最速でも2025年シーズン。歴史に残るシーズンは、彼のカラダに大きな負担をかけていた。 「ケガはやっぱりストレスになります。調子が悪くて試合に出られないことはまだ受け入れやすいんですが、ケガは自分ではどうしようもない。早く回復するように毎日リハビリ、ケアをするしかない。ただリハビリも段階を踏んでいかなくてはならないので、やれることを少しずつやりながら目標の数値をクリアしていくことに専念しています」 孤独なリハビリを支えてくれたのは、話題の愛犬デコピンだったという。 「もともと犬を飼いたいと思っていたんですが、手術によって早まった感じです。今はもう犬とリハビリ、それだけの生活。ずっと一人暮らしで、一人でいることを苦に感じたことはなかったんですが、犬との生活に慣れてしまうと、もう離れられない(笑)。トレーニングのときもランニングのときもいつも一緒にいます」 この手術は、大谷翔平を進化に導くのか? 「ケガをしなかった世界線がわからないのでなんとも言えませんが、前回手術したときも気づくことはいろいろありました。もちろんケガをしないに越したことはないのですが、してしま った以上、いい結果につなげていくしかないと思っています」 12月9日、ロサンゼルス・ドジャースと大谷が交わした契約は、10年総額7億ドル(1029億3854万円、1ドル147.12円で計算。編集部調べ)。世界のスポーツ界においても史上最高額の契約だった。インタビューの時点では、彼の2024年の所属球団は、まだ発表されていなかった。「2024年はバッターとしてだけの出場になりますが、目標はまずキャンプインまでにしっかりプレーできる状態にもっていくこと。そこからクオリティを上げていって、いいシーズンを迎えられればいいなと。術後ということもありますし、あまり遠くを見ず、目の前のことをひとつずつやっていくだけです」 自分を冷静に見つめ、大言壮語をしない。一方で悲観的にもならず、前を向いて歩を進める。 「野球に関しては楽天的。いつ大ケガをするかわからない仕事だし、それでダメなら辞めればいいだけの話。だからいつそうなってもいいという覚悟を持ち、毎日を悔いなく過ごしたい。そう考えているから逆に楽天的なんです」 常に世界中から注目される存在になった。ドジャースへの入団発表の前から、次の契約は史上最高の金額になるということは予想されていた。 「プレッシャーがないと言ったら嘘になります。契約金額が上がるということは、チームからそれだけの期待をされ、戦力として計算されているということですし、まわりもそういう目で僕を見るでしょうから、そこに応えなければならないというプレッシャーはあります。ただそれによって『やらなきゃいけない』と思いすぎるのもよくない。年俸が変わったからといって、自分がやるべきことが変わるわけではない。まず自分で自分に期待し、その期待に応えるように練習をする。これまでは、まわりの期待と自分の期待がいいバランスを保ってきたし、これからもそうでありたいと思っています」 彼にとって野球は、子どものころからの“趣味”なのだという。 「小学校低学年で野球を始めたときから一貫して趣味のような感じです。最初は単純にキャッチボールが面白くて、早く週末に野球をやりたいなと思っていた。完全に遊び感覚です。そこに試合に勝つとか、ホームランを打つという楽しさが加わってきて、さらには練習が身を結ぶという嬉しさも知った。そういう楽しさ、嬉しさが積み重なって今がある。もちろん今は仕事という一面もありますから、責任を果たしたいという思いもある。でもやっぱり野球をやる楽しさと、目標を設定してそれを達成していく楽しさの両方が、根底にはあります」 愛犬デコピンと。日本中が大谷の犬の話題で盛り上がった。 10年後はどのように過ごしているのだろう? 「39歳、40歳か……野球はまだやっていたいですね。できればバリバリの現役でいたい(笑)。もちろん、いずれ引退する日はきますが、そのときに野球を好きなままでいたいです。野球を好きなまま、嫌だなとか辞めたいななどと思っていないのが理想です」 Be your own BOSS──自分自身のBOSS。自信、スタイル、そして前向きなビジョンによって突き動かされる、自己決定的な人生のチャンピオンになる──そんなボスのキャンペーンメッセージを誰よりも体現する男、大谷翔平。 「自分をいちばん理解しているのは自分。自分のBOSSでありたいと常に思っています。それが難しいときもありますが、そう思って行動するのが大事なのではないでしょうか」 力強く、爽やかに、そう言い切った大谷翔平。恐らく100年後も伝説として語られる彼と同じ時代を生き、彼の活躍をリアルタイムで観ることができる私たちは、本当に幸せだと思う。 ■大谷翔平 プロ野球選手 1994年、岩手県生まれ。2013年に北海道日本ハムファイタ ーズに入団し、18年からメジャーリーグ、ロサンゼルス・エンゼルスに移籍。23年12月にロサンゼルス・ドジャースと契約。
文・川上康介 写真・阿部裕介@YARD 編集・岩田桂視(GQ)