羽根田卓也が5度目の挑戦にかける思い。東京五輪で区切りをつけた「自分にとってのオリンピック」とは?
「自分にとってのオリンピック」に区切りをつけた東京五輪
――5大会連続のオリンピック出場は競技の垣根をこえて素晴らしい記録ですが、羽根田選手にとって、オリンピックという大会の一番の醍醐味はどんなことですか? 羽根田:目標に向かって取り組む中で試行錯誤を繰り返しながら、これまで4回のオリンピックに出場させていただきましたが、求めてきた結果を出して、目標を達成する感動の体験を味わったこともあります。アジア人がメダルを取ることは雲をつかむような話だと思っていましたし、自分でも取れるとは思っていなかった中で、リオ五輪では本当に「雲をつかむことができた」と思いました。そこにすごく達成感がありましたし、その4年後には、運命の巡り合わせと言えるような自国開催のオリンピックが開催されて、そこに対しても没頭することができた。どちらも素晴らしくてかけがえのない瞬間でしたが、それは一人の選手としての喜びだったんです。 カヌーのようなアマチュアスポーツは特に、国内大会や海外のワールドカップ、世界選手権などに比べると、オリンピックでは見ている人の数や自分を応援してくれる人の数が違います。だからこそ、応援の輪が大きくなるのがオリンピックの何よりの醍醐味だと思いますし、自分を通じてたくさんの人がオリンピックへの挑戦や体験、感動を共有できればさらに素晴らしい大会になると思っています。 ――東京五輪後には「完全燃焼した」という発言もされていましたが、改めてパリ五輪に挑むことを決断された背景には、その「応援や感動の輪をもっと広げたい」という思いもあったのでしょうか? 羽根田:そうですね。リオ五輪も東京五輪も、今振り返ってみると「自分にとってのメダル」「自分にとっての自国開催」という、自分軸のオリンピックだったと感じます。その意味では正直、東京五輪で一区切りしてしまったんですよ。「自分にとってのオリンピック」と考えると、メダルを取ることとか、自国開催のオリンピック以上の大会というのは、自分ではもう考えられなかったんです。 ――それが「完全燃焼」という言葉の意味だったのですね。 羽根田:それで東京五輪が終わってから「自分にとってのパリオリンピックってなんだろう?」と考えた時に、大会後に思っていた以上に多くの人から当たり前のように「次はパリ五輪、頑張ってね」と応援の声をかけられたんです。それはメダルや東京五輪を通して広げることができた応援の輪だと思います。そう考えると今が一番、応援の輪が広がっている時だと思いますし、その中で臨むパリ五輪は自分のためだけではなく、多くの人にオリンピックの素晴らしさを共有できる大会になると思います。それこそが意味のあることだと思って、挑戦を決めました。 ――具体的にはどのような目標設定をしているのですか? 羽根田:選手がオリンピックを目指すと決めたからには、やはり結果を求めなければいけないと思っています。前回大会までとはオリンピックの捉え方は変わりましたが、やることは変わらないですし、できるだけ高いところに目標を設定して結果を追求することが「挑戦を共有して感動の輪を広げる」ことに帰結してくると思いますから。