驚愕のラスト…安達祐実と青木崇高の存在なくしてドラマ『3000万』は成り立たなかったワケ。 最終話考察レビュー
噛めば噛むほど味が出る悪役たち
この情報社会においては、普通の人間でも勉強さえすれば、壮大な犯罪計画を立てられる。もちろん、実行するかしないかはまた別だ。 祐子は流されるまま、ここまでやってきたが、自分のせいで強盗の被害に遭った女性に対しては申し訳ないという気持ちがあるし、蒲池(加治将樹)が湖に沈む光景はたびたびフラッシュバックしていた。そんな風に、普通は気が咎めるものだが、悦子は「自分のことだけ気にしてればいいのよ」という。 自分さえ良ければいい。それは闇バイトに手を染める若者が後をたたない今の日本全体を覆っているリアルな空気感なのかもしれない。もちろん、お金欲しさに安易に手を染めた結果、そこから抜け出せなくなるというパターンが多いのかもしれないが、やっぱりどこかぶっ飛んでいないとなかなかそっちの道には進めないものだ。 本作に出てくる悪役たちはそのバランスが見事だった。敢えてまだ名前が知れ渡っていない俳優陣を起用することで、一見どこにでもいそうなリアリティが漂っている。だけど、あまりにも普通の人だったらドラマとして面白くない。そこで、本作は各々のキャラクターに身近にいそうでいない絶妙な個性を付与している。 真面目にアンガーマネジメントに努める、人間味に溢れた坂本。穏やかだけど何を考えているかわからない恐ろしさがあって、ここぞという時には躊躇なく人に危害を加える末次(内田健司)。何をしでかすかわからない危うさと、祖母のために3000万を取り返そうとしたピュアなところが表裏一体のソラ。 どの悪役たちも噛めば噛むほど味が出る奥深いキャラクターだ。そして演じているのが知名度に反して巧みな演技者ばかりだったから、それぞれの役が驚くほどにハマっていて、最後まで目が離せなかった。きっとこの本作で爪痕を残した彼らの姿は今後、色んな作品で見かけることになるだろう。
『3000万』は安達祐実と青木崇高の存在なくしては成り立たなかった
そして何より、主役である安達祐実と青木崇高の存在なくしてこの作品は成り立たなかった。祐子とソラは長田の裏切りにより、悦子と末次に拘束されるが、祐子の機転で2人とも危機を脱する。 その報告を電話で受けた義光は安堵の涙を浮かべたあと、「大丈夫、絶対なんとかなる」と心配する純一の肩を叩いた。その楽観的な性格に正直イラっとさせられたこともあったが、「なんとかなる」という言葉も今なら彼なりに色々な経験をしてきたからだと分かる。シリアスな展開においても気の抜ける物語の緩衝材としての役目を果たしつつも、人間としての深みも感じさせた青木はすごいとしか言いようがない。 そして3000万を元の持ち主に返し、自首の道を選んだソラを送り届けた後、祐子は車で交差点に差し掛かった。「めっちゃ急いでる時に、車1台も通ってないのに、青信号になるまで歩道を渡るの、待ちます? 結局、バレなきゃいいんですよ」という舞(工藤遥)の台詞が思い起こされる。 結局、青信号になるまで待った祐子は車をUターンさせ、どこかへ向かっていった。自首するのか、何事もなく家に帰るのか、はたまた警察に捕まった悦子が「私一人を捕まえたところで何も始まらない。また他の誰かが始めるだけ」と語る“誰か”になってしまうのか。 彼女もまた、普通ではなかった。最初は何をするにもおどおどしていたが、意外にも大胆かつ悪知恵が働き、犯罪者としての才能を開花させていった祐子。額に青筋を立てるほどの安達の鬼気迫る演技に、私たちの方が振り回されっぱなしだった。だから、本当にこれから祐子がどうするのかは予想がつかないし、このラストが本作における最適解なのだろう。 普通に見える人間を見くびってはいけないということか。同時に、警察のことも見くびってはいけない。 「それはこっちも同じです。追いかけ続けるだけですから。あなたが思っている以上にしつこい刑事もいるんですよ」という野崎(愛希れいか)の台詞、定年を迎えてもなお、逃げた末次や長田を追いかける奥島(野添義弘)の執念に満ちた表情は、ある種の警告だ。 願わくば、このドラマが犯罪に手を染めようとしている人たちが留まるきっかけとなりますように。 【著者プロフィール:苫とり子】 1995年、岡山県生まれ。東京在住。演劇経験を活かし、エンタメライターとしてReal Sound、WEBザテレビジョン、シネマズプラス等にコラムやインタビュー記事を寄稿している。
苫とり子