心が揺れる季節(3月24日)
今年もまた、心が“さわさわ”と揺れる「卒業」の季節を迎えた。「毎年のことなのだから」と自らに言い聞かせながらも、様々な気がかりが頭の中をよぎり何とも落ち着かない。 小・中・高・大と、それぞれの学業を終えて卒業していく生徒・学生たちの心は「やっと!」「さあ、新生活だ」という、喜びと期待に弾んでいる。未知の世界を前にした戸惑いや怖さもあるだろうが、兎[と]にも角にも勇気を出して次の一歩を踏み出す喜びは、何より大きいはずだ。 自身も、かつて遠い過去に卒業を迎えたときの心境は、まさに晴れやかなものであったと記憶している。少し肌寒く清[すが]々[すが]しい三月の空気の中で、「これからは何にだってなれる!」というような、恥ずかしくも根拠のない自信と勇気に酔っていた。お世話になった先生方には、自分なりに精一杯の感謝をお伝えして、学び舎[や]を去った。ただし、先生方の少しだけ晴れない微[ほほ]笑[え]みの裏に隠された、複雑な胸の内に思いが至ることもなく…。
あれから半世紀近く…今では毎年春に、卒業生を“笑顔で”送り出す側になっている。 一言で「卒業」といっても、「学業を終える」という意味で主に学校で使われる「卒業」と、「特定の教育・訓練・研修などを終える」意味の「修了」という区別があり、私の場合は“俳優”という特定の分野の育成過程を終えた「修了生」を送るという立場を務めている。 三年に及ぶ研修を終えた、10人前後の演劇研修生を世に送り出す。目を配り、心を配り、研修の進[しん]捗[ちょく]状況に気を揉[も]みながら、時には一対一の付き合いをする月日を重ねた面々が旅立っていく。 だが、ここから先の道の険しさは十分に予想できる。実力だけでなく運の強さまで影響する世界だ。いくら「修了」をしたからといっても、まだまだ何者でもない“ひよっこ中のひよっこ”だ。送り出すこちら側は「何とか活躍してほしい、いや頑張ってほしい、いや諦めないでほしい」と、ひたすら祈るしかない。