夢の実現には金が必要 アムステルダムで藍の取引に成功 H・シュリーマン(上)
商売よりも過酷な試練で、気づいたこと
シュリーマンはこの時、念願の恋人ミンナとの結婚の機は熟したと判断した。故国でその日を待ちわびているはずのミンナに弾む心でせっかちにも結婚式の日取りや招待客のことなども書きつづった手紙を出すと、意外な返事が届いた。シュリーマンは自伝『古代への情熱』の中で告白している。 「数日前に彼女は他の人と結婚したという返事を受け取った時の私の驚きはいかに大きかったであろうか。この落胆は私が遭うかも知れない、あらゆる運命のうちで、最もたえ難いものだと当時思った。私は到底いかなる仕事にも手を付ける気になれず、病床についた」(村田数之亮訳) シュリーマンはこの衝撃的な“事件″のあと、商人としての歩みを振り返って「刻苦精励だけが商人の道ではあるまい。一獲千金は人類永遠の夢ではないか」などと安易な財産づくりの方策を考えるようになる。 折しも1848年カリフォルニアで金鉱脈が発見され、世界中から冒険心に富む男たちがアメリカに渡った。ゴールドラッシュの成功譚(たん)がシュリーマンの耳に入らないはずがない。 実際、弟のルドウィヒが単身カリフォルニアに乗り込み、成功したらしいとの報がシュリーマンの耳にも入っていた。弟は才覚に乏しいくせに大金持ちになりたい夢を抱き、兄に借金を申し込むが、「私は13年間、ひとさまから借金したことがない」とピシャリ断られた。 =敬称略 【連載】投資家の美学<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)> ■ハインリヒ・シュリーマン(1822-1890)の横顔 1822年、ドイツ北部のバルト海に面したメクレンブルク州の牧師の子として生まれた。幼いころ、古代ギリシャ最大の詩人ホメロスの物語にあるトロイヤの遺跡を実際にあるものと信じ込む。そして遺跡から掘り出した王冠や装飾品で幼なじみのミンナを飾り立て、妻とすることを生涯の夢とした。夢の実現にはお金がいる。そのためには大商人にならなければならない。14歳の時、商店に小僧として住み込む。商売には外国語が必須である。仕事に精出すかたわら語学の習得にも力を注いだ。シュリーマンの語学に対するひらめきは天分のものだったらしく、わずか半年で1つの言語をマスターし、生涯で十数カ国語を話す言葉の天才と称された。田舎町の小商いにあきたらず、ハンブルクへ赴き、やがて商都アムステルダムで才覚が磨き上げられていく。カリフォルニアのゴールド・ラッシュでは巨利を占める。