マッツ・ミケルセン「ライオン・キング:ムファサ」でもやっぱり悪役 「気にしないよ。米国流とはそういうもの」
映らなくても背景を持つことが大事
「ライオン・キング:ムファサ」は、後に動物の王となるムファサの幼いころを描く。両親とはぐれたムファサはたどり着いた地で王の子、タカ(後のスカー)に救われ、兄弟のように育つ。2頭は約束の地ミレーレを探して旅立つが、タカは勇敢で強い心を持つムファサに引け目を感じるようになり、やがて溝が広がっていく。キロスはムファサの行く手を阻むはぐれライオンのボスだ。出番は少ないが、ムファサとタカの未来を決定づける大事な役どころ。 「この物語はムファサが主人公だけれど、タカにも光を当てている。タカは自分がムファサには及ばないと気づかされ、友情も兄弟愛も失われてしまう。キロスは他のライオンたちとは異質で、群れからはじき出され、居場所を探し生き残るために強くなり、他のはぐれライオンたちを率いるようになった。映画ではそんな背景は分からないけれど、自分の中で準備しておくことが大事なんだ」。ミュージカル仕立ての映画で、歌まで披露する。「気に入ってくれた? とても歌手にはなれないけどね」
低迷期からニューウエーブへ
俳優としては遅咲きだった。器械体操の選手として訓練され、ダンサーに転じて活躍。俳優デビューは30歳だった。「ダンスは大好きで、ステージも満足だった。でも、ただ踊るよりも、ドラマのある踊りがものすごく面白かった。ずっとドラマだけやりたいと思って、チャンスにかけた」。スタートが遅かったことは、ハンディではなかったという。 「たいていの俳優には遅すぎるかもしれないが、私にはよかった。ダンサーになったのも20歳ぐらいで早いとはいえず、人生の基盤を作らなくてはいけなかったからね。俳優への転身も、それが正しい道だと思って不安はなかった。ダンサーも俳優も、子どもの頃には夢にも思っていなかった。たいていの子どもと同じようにサッカー選手になりたかったかな。サッカー選手になっていたら、今ごろとっくに引退してたけど」 俳優になったころ、デンマーク映画は低迷期だったという。「でも、『タクシードライバー』や『ゴッドファーザー』を見て育った私と同世代の監督たちが、何かすごいことをやろうとしていた。彼らとデンマーク映画を変えようと思っていた」。後にハリウッドに進出し「ドライヴ」を撮るニコラス・ウィンディング・レフン監督の「プッシャー」でデビュー。「未来を生きる君たちへ」でアカデミー賞外国語映画賞を受賞するスサンネ・ビア監督の「しあわせな孤独」にも出演。デンマーク映画の新しい潮流が生まれていた。「彼らが起こした新たな波は、今も続いている」 あるとき、ハリウッドから電話がかかってきた。アントワン・フークア監督の「キング・アーサー」への誘いだった。「ハリウッドに行こうなんて、まったく考えていなかった。エージェントがいたわけでもなかったが、オーディションに招かれたんだ。アントワンが私の出ていた映画を見たらしい」。同作で円卓の騎士の1人を演じ、ハリウッドデビュー。その後「007/カジノ・ロワイヤル」でボンドの酷薄な敵を演じて一気に知名度を上げた。アクションやファンタジー大作の悪役に次々と声がかかったのは、冒頭に記した通り。 「ある地点から別の地点に行き、そこで思いがけないことが起こる。その連続だよ」。ただ、これだけハリウッド映画に出演しているのに「米国で撮影したのは1日だけ」。大作の撮影はヨーロッパだという。「だから米国への移住なんか考えてもいない。家族がロサンゼルスの家で、チェコで撮影している私の帰りを待つことになってしまうからね」