多くの日本人が誤解している「経営の正体」…じつは誰もが「経営の現場」を持っているという事実
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。 〈日常は経営であふれている。 仕事にかぎらず、恋愛、勉強、芸術、科学、歴史……などあらゆる人間活動で生じる不条理劇は「経営という概念への誤解」からもたらされる。 もちろん、ここでいう経営はいわゆる企業経営やお金儲けを指していない。 本書『世界は経営でできている』が扱う経営概念は多くの方の固定観念と相いれないだろう。この本は経営概念そのものを変化させる書であり、日常に潜む経営がもたらす悲喜劇の博物誌でもある。〉(『世界は経営でできている』より) 『世界は経営でできている』において、経営とは「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」と定義される。 〈この経営概念の下では誰もが人生を経営する当事者となる。 幸せを求めない人間も、生まれてから死ぬまで一切他者と関わらない人間も存在しないからだ。他者から何かを奪って自分だけが幸せになることも、自分を疲弊させながら他者のために生きるのも、どちらも間違いである。「倫」理的な間違いではなく「論」理的な間違いだ。〉(『世界は経営でできている』より)
誰もが「経営の現場」を持っている
そして、『世界は経営でできている』が訴えるメッセージは以下の3つだ。 (1)本当は誰もが人生を経営しているのにそれに気付く人は少ない。 (2)誤った経営概念によって人生に不条理と不合理がもたらされ続けている。 (3)誰もが本来の経営概念に立ち返らないと個人も社会も豊かになれない。 〈経営を「企業のお金儲け」と同一視する「二重の間違い」も蔓延している。 経営するのは企業だけだと思い込むのは無知と傲慢のなせる業だ。学校経営、病院経営、家庭経営……はどこに消えたのか。むしろ世の中に経営が不足していることこそが問題なのである。現代の学校や病院や家庭が不合理の塊なのは誰もが知っていることではないか。 また人類のさまざまな側面に関わる広義の経営において、利益・利潤や個人の効用増大が究極の目的になりえないのも明らかだ。比較的それらを重視する企業経営においてさえ、本来それらは二次的な目的にしかなりえない。〉(『世界は経営でできている』より) 〈経営の本質は、いわゆる経営者や企業人にかぎらず、現代社会に生きる人にとっての必須教養だ。だが、経営者や経営学者といった「経営で飯を食っているはずの人」でさえ経営の本質を誤解していることが多い。〉(『世界は経営でできている』より) つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
現代新書編集部