「お前は絶対にボールを打つな」23歳で東京進出した森脇健児「俺が!俺が!」の気持ち捨て、成功をつかめた訳
森脇さん:東京に出てきてすぐ、『EXテレビ』の金曜レギュラーとして、三宅裕司さんと一緒に番組をやらせていただいたのですが、そこで東京での仕事の流儀を学ばせていただきました。大阪では、台本はあるけれどアドリブで盛り上げていくことが多かったんです。爪痕を残してナンボだから、みんな「前に前に」と出ていく。ぼく自身「芸人はアドリブで勝負や!」と思っていたので、「大阪の芸人として笑いでは負けたくない」と気合い十分でした。
でも、三宅さんは台本にすごく忠実で作家と一緒に打合せを重ね、ていねいに番組を作り上げて笑いを生み出していくんです。すごくスマートでしたね。その様子を目の当たりにして「こういう笑いのやり方があるんや、スゴイな」と。番組の制作費も関西とケタが違う。いろいろな意味でカルチャーショックを受けました。
■師匠から学んだ「東京で成功するための作戦」 ── 体に身についた「前に出てナンボ」という笑いのスタイルを変えるのは、大変だったのでは?
森脇さん:じつは番組が始まる前に、弟子入りした若井はやと師匠から、「いいか?半年間ひたすら三宅さんにトスだけ上げていけ。お前は絶対にボールを打つなよ」と釘を刺されていました。「それを続けていれば、そのうち三宅さんからお前にトスを上げてくれる。そこでバーンと思いきり打つねん!」と。「へえ、東京はそういうものなんだな」とアドバイス通りにしていたら、まさに師匠の言う通りに。そこから、『笑っていいとも!』『夢がMORI MORI』など、仕事がどんどん決まりだしたんです。
後に三宅さんに「じつはあのとき…」と当時のことを話したら、「そんなことがあったんだね。最初は関西からくる芸人さんだから、きっとガンガン前に出てくるんだろうなと思っていたんだよ。いやあ、すごい師匠だね…」と言ってくださいました。これはすごく大きな学びでしたね。いまでも関西の芸人から「東京でどうやっていけばいいか」と相談されたときには、この作戦を伝えるんです。「やたらと前にシャシャリ出ず、トスを上げるのに徹したらいい。そのうち、絶対に振ってきてくれるから」と。