【モデル・ブレンダさん】モデルの仕事は、常にあと1年かなと思っていた|CLASSY.
数々のファッション誌でカバーモデルを務め、多くの世代から憧れの存在であり続けるブレンダさん。コロナ後の現在は自宅のあるハワイと日本と行き来する生活が復活。プライベートではふたりの男の子のママの子育て中ですが、ヘルシーな美しさは今も健在です。そんなブレンダさんにCLASSY.での思い出、そしてハワイで謳歌しているナチュラルライフについて語っていただきました。
撮影現場の思い出を聞かせてください。モデルのスタートはJJからだったんですよね。 よく覚えています。初めてのモデルの仕事だったから、やっぱり思いが強いのかもしれません。赤文字と呼ばれる若い子向けの雑誌はとにかくカット数が多くて、朝から晩までずーっと撮影。モデルも4人でひとり50カットとか。着替えるのがすごく早くなりました(笑)。一応ヘアメークの人はいたんですけど、モデル4人に1人みたいな。だからメークも自分でしたりして。最初は私だけ全然できなくて、眉毛なんてすごく太く描いてしまって。これじゃダメだとヘアメークを最初からやり直されてました(笑)。とにかくハードでしたね、でもそれもいい経験。いい勉強になりました。 JJを卒業してからはCLASSY.に。印象的な撮影はありますか? 大人の雑誌を始めたら、全然違う世界でした。カット数より、とにかく絵作りにこだわっていて、映画みたいな感じ。ストーリー性があるっていうか。一番の思い出は上野動物園にある古い遊園地で、天使のコスチュームを着たちっちゃい子と一緒にロケしたこと。ニューイヤーの企画で、私にはその天使が見えていないけど、いつもそばにハッピーな天使がいるっていう設定で。そういう遊び心のある撮影が多くて、毎月すごく楽しみでした。 あとは海外ロケ。ハワイはもちろん、LAやNY、そしてパリにも行きました。普段の撮影は一日で忙しく終わるけど、海外ロケでは1週間ほど滞在するので、仕事しながらちょっと観光したり、美味しいものを食べたり。スタッフと仲良しになるのも嬉しくて…。夜遅くまでおしゃべりしたりして、そういう楽しい思い出がいっぱいあります。 ハワイから離れてホームシックになることはありましたか? 少しはありましたけど、それほどでもなかったかな。私の実家はすごく厳しくて、夜は10時までに帰らないといけなくて、全然遊びにもいけなかったんです。だから日本に行くことになって初めて家を出たから、楽しもうと思っていました。同じ事務所の後輩たちとシェアハウスに住んでいたので、お姉さん的な立場として面倒見たりもしていました。それに3ヶ月に一度は時間を作ってハワイに帰れていたので、ホームシックになる時間がなかったのかもしれません。