【モデル・ブレンダさん】モデルの仕事は、常にあと1年かなと思っていた|CLASSY.
体作りなど、心がけていたルーティンはありますか? 若い頃は何も考えていませんでした(笑)。ダイエットというより、逆にいっぱい食べないと痩せちゃうタイプだったから…。それはすごくありがたいことですけど。ただ、運動しなくても元々すごく動くタイプだったんです。とくにすごく歩いてた。家から撮影するスタジオまで近ければ、朝はいつも歩いて行ってました。だからたくさん食べてもバランスが取れていたんだと思います。 長いキャリアがあるブレンダさん。ずっとモデルを続けるモチベーションを保ってきた理由は何でしょうか。 それがあんまりなかったんですよね。後になって、できることなら長く続けていこうという考え方に変わったんですが、始めた頃は、常にあと1年かなと思っていたんです。始めたばかりの17、18歳の頃は、20歳になってから仕事があると思わなくて。アメリカ人の考え方として、モデルの仕事はテンポラリーなものというか。ずっと続けられることではないと思っていたんです。だからモデルとは違う仕事をしようかなと思って、一回辞めて大学に行ったんです。そうしてハワイに戻ってきたんですけど、友人がハワイアンジュエリーのブランドを立ち上げるのを手伝ったりするうちに、日本にもまた来ることに。23歳くらいの頃かな、頼まれて短い時間だけモデルを再開したら、前よりも忙しくなってしまって…。じゃあ、もうちょっとやってみようかなと。でもいつかハワイに戻りたかった。子供も欲しかったので。昔の考えで、やっぱり20代で子供を作らないといけない、30歳はもう歳だと思ってしまっていて。いま考えたらそんなことはないとわかるんですが、結構、オールドファッションのマインドだったんです。子供ができたら、当然モデルの仕事は卒業って思っていた。まわりにはモデルをなるべく長くやりたいとか、その次は女優になりたいとか、そういう夢を持っている人も結構いたと思うんですが、私にはそれはなかったかも。だから今でもやってるし、子供が生まれてもモデルを続けているから、その時感じたことを大事にしているんですよね。 ハワイに戻ったタイミングは? 34か35歳の頃かな。主人と出会ってプロポーズされて、この人と一緒にいたいと思ったし、子供も欲しかったから、仕事を辞めてハワイに戻ろうと決心したんです。日本に友達もいっぱいいたし、結構忙しい時だったからもったいないっていう人もいたし、事務所のマネージャーにも「今辞めるの?」と言われたけれど、やっぱり今しかないと思って。決めたら迷いませんでした。性格もあるのかもしれないけど、先のことを考えてクヨクヨ悩んでも仕方ないかなと。 でもそうやって一大決心してハワイに帰ったんだけど、ブレンダが日本にいないならこちらが行くって、撮影チームがハワイに来てくれるようになっちゃって。もう二度と会えないねって泣いていたのに、なぜか翌月には撮影しているという(笑)。それからハワイと日本、いいバランスで仕事を続けさせていただいています。 【ブレンダさん】 ハワイ出身。17歳でスカウトされてモデルデビュー。1990年の来日後は『JJ』を皮切りに、数々のファッション誌で表紙を飾り続けるモデル界のレジェンド的存在。二児の母であり、ハワイを拠点に日本と往来しながらモデルとして活動中。 Gジャン¥83,600タンクトップ¥22,000デニムパンツ¥57,200パールネックレス¥385,000(すべてマディソンブルー)シューズ¥115,000(ジェイエムウエストン/ジェイエムウエストン 青山店) 撮影/須藤敬一 スタイリング/荒木里実 ヘアメーク/佐藤エイコ(ilumini) 取材/志摩有子 構成/前田章子 あわせて読みたい