野村萬斎、伝統芸能からシン・ゴジラまで「多面体となって人間を表現」
狂言師として日本の伝統芸能を継承する一方で、舞台やテレビドラマ、映画などにも出演する一面もみせる野村萬斎さん。映画『シン・ゴジラ』でのモーションキャプチャーを駆使したゴジラの動きが大いに話題になるなど、その活動は個性的であり、魅力的だ。そんな萬斎さんが、映画『花戦さ』では、花の力を持って天下人・豊臣秀吉に立ち向かった花僧・池坊専好に扮し圧倒的な存在感を見せつけた。多岐にわたる活動を続けていく萬斎さんのモチベーションとなっているものは何なのだろうか――。
狂言の世界では40、50は鼻たれ小僧
「僕らの世界では40、50は鼻たれ小僧という言葉があるんです」と切り出した萬斎さん。狂言の世界での話だという。「例えば、子どものときは、子どもの役を演じるわけですが、そこで習得したものは、身体が大きくなって声も変わると通用しないんです。どんな天才子役と言われても、そこで壁にぶち当たる」 続けて「だから、大人の体型や声になったとき、あらためて修業し始めるのですが、大人の基本を10年ぐらいやって技術的に自信が持てても、人生経験が足りないので、人間を映し出すには薄っぺらな鏡になる。深みが伴わないんです」と説明する。つまり、40歳ぐらいになり、技術的なことをマスターしても、まだまだ人間を表現するための経験が足りていないために「鼻たれ小僧」と言われるのだという。 本作で萬斎さんが演じた池坊専好という花僧については、 「天真爛漫に生きていますが、立場上みんなの手本とならなければいけなくなる。遊びや経験値を活かすのと違うところに進んでいき、規範に従って花をいけることだけを求められると生きづらさを感じてしまいますよね」と彼の立場に共感を覚えたという。そんななか、萬斎さんは「僕はその意味では、父(二世野村万作)という規範がいてくれるので、遊び心を持ったとしても立ち戻ることができるんですけれどね」と笑顔をみせる。 この遊び心が重要だと萬斎さんは語る。 「どんなに技術が優れていても経験値がないと、人生を映せない。薄っぺらなものになると、それは単なる曲芸になってしまう。だから狂言の世界において若くして天才というのはいないんですね」 必要なのは、人間としての深みを増すためのさまざまな経験と新しい発想力だという。 「いくら650年という期間、いろいろなものにさらされて耐えてきたと言っても、現在生きている時代感を意識できないとダメ。自己変革能力、常に猜疑心を持って取り組まないといけないんです」