平松愛理が語る阪神・淡路大震災復興活動「どうにか歌で応援を」 来年1.17には5年ぶり支援ライブ
シンガーソングライターの平松愛理さんが、ラジオ関西の番組『明日への扉~いのちのラジオ+~』(パーソナリティ:川嶋あい)に出演。これまで取り組み続けてきた阪神・淡路大震災復興活動について語りました。 【関連】「休むことも生きること」 震災うつ乗り越えた丸岡いずみ 川嶋あいと語る、一歩先に踏み出すヒント 兵庫県神戸市出身の平松さんは、幼少期から歌に興味を持ち、1987年に4人組のユニットでレコードデビュー。その後、1989年にソロアーティストとなり、「部屋とYシャツと私」など数々のヒット曲を生み出しました。 1995年、阪神・淡路大震災が発生した際、須磨区の平松さんの実家は全壊しました。公演期間中だった平松さんは、インフルエンザに罹ったこともあって東京に滞在しており、神戸の状況をすぐに直接見ることはできませんでした。 離れた場所で被災地を思い、「神戸の人たちの気持ちや街を、どうにか歌で応援していけないものか」と考えた平松さんは、その年のうちに、復興支援ライブやチャリティーソングを通じて神戸を元気づける活動を始めました。そして4月には、淡路島出身の作詞家・故阿久悠さんの詞に自ら曲を付けた「美(うま)し都~がんばろや We love KOBE」を発表しました。 「“被災者”ではないので思いやることしかできないんですけれども、自分としては精一杯の活動をしてきたつもり」と振り返る平松さん。その活動は25年以上にわたり、来年2025年1月17日には、震災30年を迎えるにあたって5年ぶりに復興支援ライブ「神戸ミーティング」を開催する予定です。 平松さんは、震災の記憶が風化してしまわないよう、神戸の人たちと共に歩んできた日々の大切さを強調します。番組出演前日には「家がなくなってお財布がなくなって、娘がすごく悲しんでいる夢を見た」そう。「街はものすごくきれいになったけれど、風化させてはいけない何かがそこにはある」と語り、自身も抱くその思いを夢の中で感じ取ったといいます。 平松さんは、被災者はもちろん、人生のあらゆることで悩んでいる人に向けてメッセージを送りました。 「ネガティブな感情を抱えると、やっぱりうつむきがちになっちゃうんですよね。そういうときは、まっすぐ前を向いているだけでいいと思うんです。未来が見えなくてもいい。何か信じられるものが1つあれば、それが自分にとっての“明日”だと」(平松さん) ※ラジオ関西『明日への扉~いのちのラジオ+~』2024年12月8日放送回より
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