南海電鉄の超ミニ路線 多奈川線と高師浜線はなぜ生まれ、いまはどうなっているのか 現地を行く
“鉄っちゃんアナ”としても親しまれる鉄道通のフリーアナウンサー・羽川英樹さんのラジトピコラム「羽川英樹の出発進行!」。今回、羽川アナが現地取材したのは、南海電鉄の超ミニ路線を2つ、多奈川線と高師浜線です。それでは、出発進行! 【動画】鉄アナが実況リポート! 南海の超ミニ路線「多奈川線」「高師浜線」 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 南海電鉄は、関西では近鉄(近畿日本鉄道)に次ぐ154.8kmの営業距離を持ちます。それぞれ約64kmの長さを誇る本線と高野線をはじめ、観光列車『めでたいでんしゃ』が走る加太線(9.6km)、インバウンドでにぎわう空港線(8.8km)、徳島航路接続の和歌山港線(2.8km)などありますが、今回はそれより営業距離が短い超ミニ路線を2つ取り上げます。 まずは大阪の最南端「みさき公園」と「多奈川」の2.6kmを結ぶ、多奈川線です。4つの駅すべてが大阪最南端の泉南郡岬町にあります。 「難波」から本線の特急で45分の「みさき公園」。ここの5番線から多奈川線は出発します。この駅はもともと大阪唯一のシーサイドコースを持つ大阪ゴルフクラブの来場者のために、昭和13年(1938年)に南淡輪駅として開業しました。 その後、遊園地・みさき公園がオープンし2020年まで63年間にわたって親しまれてきました。ヨットをデザインした駅舎を右に見ながら2両編成の2200系が発車します。 今年の10月20日までは日中30分毎の運行でしたが、今は利用客の減少から、なんと60分毎に減便されてしまいました。 最初の駅「深日町(ふけちょう)」は美しい3連のアーチをもつ高架駅で、この周辺には歴史ある寺社がいくつもあります。“深日の御坊さん”と呼ばれる金乗寺(こんじょうじ)には樹齢500年の立派な大銀杏があり、宝樹寺は化石の寺としても名高いお寺です。またここは瓦産業が盛んなため国玉神社の大鳥居の扁額も瓦でできているんです。 次の「深日港(ふけこう)」は、かつて淡路島や徳島行のフェリーが行き交い、難波からの直通急行「淡路号」も運行されていましたが、いまはその航路のすべてが廃止されてしまいました。 レトロ感満載のホームの向かいには岬町役場、そして海に向けて今はいくつかの飲食店が静かにたたずんでいるだけ。かつての船乗り場は、今はかっこうの釣り場となっています。 季節によっては淡路島までの船の試験運行も行われていますが、はたして通年の航路再開はなるんでしょうか……。 「みさき公園」からわずか6分で終点「多奈川」に到着。なんとも殺風景な、だだっ広いホームですが、かつてここには何があったんでしょうか……。実は戦時中、川崎重工業の潜水艦専用の造船所(泉州工場)がありました。その従業員輸送のため、昭和19(1944)年に開業した路線だったんです。 その後、この地は火力発電所(関西電力多奈川第二発電所)となりましたが、そこも2020年3月末に廃止。いまは工業用砥石の工場になっています。 かつて軍需工場と淡路島・徳島への航路でにぎわった多奈川線。いまは1時間に1本が静かに走っているのです。 一方、「難波」から急行で15分の本線「羽衣」と、「高師浜」(たかしのはま)の間の、わずか1.4kmを結ぶ南海一のミニ路線が、高師浜線です。 この区間は3年に渡って高架化工事のためバスが代行していましたが、今年4月に高架工事が完成しました。すぐ横にはJR羽衣線(阪和線東羽衣支線)の東羽衣駅があり、阪和線・鳳駅までの一駅1.7kmを高架で結んでいます。 広大な浜寺公園の南端にあたる「羽衣」。かつては駅周辺に大型旅館が数多くありましたが、いまは高層マンションが立ち並ぶようになりました。3番線から2両編成の2230系が出発。昼間は20分おきの運行です。この路線、かつては海水浴場でもにぎわい、「難波」から直通電車も走っていました。 すぐに本線に別れを告げ、右に大きくカーブ。高師浜線はすべて高石市内を走ります。 唯一の中間駅「伽羅橋」(きゃらばし)は、大正時代に高級住宅地として開発されました。駅前にはかつて公園がありましたが、撤去され今は駐輪場に。また駅前商店街もシャッター街となり、カステラの銀装の工場だけが目立っていました。そして駅名の由来となった伽羅橋は、臨海工業地帯の中にある高砂公園に今は移設保存されています。 「羽衣」から乗車わずか5分で終点「高師浜」に到着。大正8年(1919年)開業の趣のある洋館の駅舎。構内にある浜千鳥をモチーフにしたおしゃれなステンドグラスが目に飛び込んできます。 ここはもともとロシア兵の捕虜収容所や陸軍の宿舎だった跡地を住宅開発した場所なんです。当時の高級住宅地はだいぶ面影がなくなってますが、閑静な住宅地として残っており、年中滑走可能なアイススケート場を持つ大阪府立臨海スポーツセンターもすぐ近くにあります。また海まで歩けば冬空に映える美しい工場夜景を楽しむこともできるんです。 つまり、多奈川線は、戦時中の川崎重工の従業員輸送と、四国・淡路連絡の航路接続のため。また、高師浜線は捕虜施設や陸軍宿舎の後にできた高級住宅地への輸送のため、それぞれ誕生した路線だったというわけです。 この2つの南海の超ミニ路線、そんな歴史を思い浮かべながら、のんびりとぜひ一度乗車してみてください。(羽川英樹)
ラジオ関西