「飛鳥」で地域創生・文化応援を|篠田哲郎×小山薫堂スペシャル対談(後編)
放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」に、アンカー・シップ・パートナーズの代表取締役社長、篠田哲郎さんが訪れました。スペシャル対談第15回(後編)。 小山薫堂(以下、小山):ご出身は日本興業銀行(現みずほ)ですよね。 篠田哲郎(以下、篠田):昔は「天下国家を論じる銀行」、高度成長期を支えた銀行でした。僕自身はバブル期入社ですが、幸いその文化が残っていて。とことんディスカッションするし、若くてもやりたいことを応援してもらえる風土だった。 小山:だとしても一介の銀行員だった篠田さんが「飛鳥」というクルーズ事業にここまで関わるに至るって、すごい話かと。 篠田:僕は当時、船会社にお金を貸す立場だったのですが、ダイナミックでお客様がとっても楽しそうで。船を持つ側に憧れて、2004年に最初は兼職という形でコンサル会社を。その後07年に船を持つべく船舶投資ファンドを設立し、銀行を辞めて、いまに至ります。 小山:「飛鳥クルーズ」に参画することになったのはいつですか? 篠田:生みの親であり現在もパートナーである、日本郵船に提案を始めたのは13年で、19年に実現しました。僕も薫堂さんがおっしゃる「飛鳥の磁力」を感じていて、日本のフラッグシップとして文化や地域をより具体的に取り込みたいと提案したんです。時間はかかりましたが、ご理解をいただき、運営会社の50%の株を売ってもらって、念願かなって来年デビューする「飛鳥III』のファイナンスを手がけました。 小山:客船って、とっても高いですよね? 篠田:はい。モノを運ぶ船の何倍もします。 小山:そのような金額をどのように調達されたのですか。 篠田:地域を飛鳥で応援したかったので、メガバンクではなく地元を熟知する日本中の地銀からお金を借りて回りました。 小山:そこが素晴らしいですよね。普通はお金を借りることが目的になるから、とにかく貸してくれるところに行くと思う。 篠田:当初感触はとても良かったのですが、その後が大変でした。契約は2020年3月でしたが、各行の検討が具体化した2月に外国船で日本初のコロナ集団感染が発生しまして。「飛鳥II」」の母港、横浜で。 小山:え、どう立て直したのですか。 篠田:コロナが何かもわからない時期で、ニュースが出る都度飛鳥の運用を確認して、想いと一緒に全国の銀行に手紙を書いていました。毎日。あきらめたくなかった。 小山:篠田さんのその声に心を動かされた方々がいたわけですね。 篠田:その代表が岡山の中国銀行です。「飛鳥+地域創生」の意義にいち早く賛同いただいて、最終的に全30行の幹事役をお願いしました。彼らは僕らの知らないところで、悩む他の地銀さんにこの船に関わる意義を丁寧に説得してくれただけでなく、役員さんがコロナのさなかに全国行脚までしてくださって……。実はその話を知ったのはごく最近なんです。 小山:すごい! 「半沢直樹」みたいなドラマになりそう。 篠田:その際はぜひ脚本の執筆を!(笑)