「台湾の一部」か「沖縄の一部」か 尖閣諸島の法的地位は
島嶼の一部は米国に統治を委ねる
具体的には、平和条約は日本が放棄する領土とそうでないものを分け、それぞれをどのように処理するか規定しました。放棄する方が第2条であり、日本は朝鮮半島、台湾などを含め戦前領有していた広大な領土をほとんどすべて放棄しました。 一方、若干の島嶼については、日本は放棄せず統治を米国に委ねこととなりました。このことを規定したのが第3条です。日本は放棄しなかったので、その領有権は日本に残っていました。 このように処理されたのが沖縄や小笠原諸島ですが、原文にそって説明すると、(1)北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)、(2)孀婦岩(そうふがん)の南の南方諸島(小笠原群島、西之島および火山列島を含む)、(3)沖ノ鳥島および南鳥島が米国の統治に委ねられました。
サンフランシスコ条約に尖閣の記載なく
「尖閣諸島」という記載は平和条約のどこにもありませんでしたが、日本の領土の再画定は第2条と第3条で規定されているので、どちらかでした。台湾の一部とみなされれば第2条で処理されることになり、沖縄の一部とみなされれば第3条で処理されることになります。 琉球諸島などの統治を任された米国は、統治を開始するに際して、統治する範囲を緯度と経度で示し、各国に確認を求めました。第3条の対象になりそうな島は数多く、また広範囲に散在しており、さらに島の呼称も確かめる必要があったからです。それが1953(昭和28)年12月25日付の「米国民政府布告第27号」でした。 この布告は、沖縄を統治する「米民政府」の長官命令として発出されたので、形式的には行政行為のように見えますが、平和条約第3条が言う「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)」の意味を確定するものであり、これはとりもなおさず同条の解釈に他なりませんでした。したがって、この布告は米民政府の行政(の一環)であると同時に条約解釈という二つの性格を兼ねていました。 実は「沖縄」という言葉も平和条約にありませんでした。「沖縄」が琉球諸島の一部であり、米国の統治に委ねられることは、尖閣諸島と同様この布告によって確かめられたのです。