小惑星「アサカワ」戦禍の世照らして 太平洋戦争回避に奔走・朝河貫一 終戦80年控え命名 不戦の機運高める
世界平和を模索した福島市立子山育ちの歴史学者朝河貫一の名が、小惑星の名称になった。朝河が必死に食い止めようとした太平洋戦争の終戦から80年を迎える来年に向け、有志が働きかけて実現。世界で戦禍が巻き起こる中、命名を機に不戦の機運を高める。「博士の思いが伝わるきっかけになればいい」。関係者は、はるかかなたに浮かぶ天体に願いを託す。 「光満ちわがたまつゐに融くる時、われも世を照らす星とならむか(自分がなくなれば、世界を照らす星となるのだ)」 朝河貫一博士顕彰協会長を務めている早稲田大文学学術院教授の甚野尚志さん(66)=福島市出身=が、朝河の晩年の長歌に着目し、動き始めた。 欧州や中東からは連日のように争いのニュースが届く。現実を少しでも変えるため朝河が求めた理想を伝えようと、立子山の関係者も理解を示した。田村市の星の村天文台名誉台長の大野裕明さん(76)=福島市=とアマチュア天文家渡辺和郎さん(69)=札幌市=も協力した。
渡辺さんは仲間とともに1989(平成元)年に発見した小惑星の命名提案権を有していたため、9月に国際天文学連合に命名を申請し10月14日付で認められた。正式名称は「29159Asakawa」。国際天文学連合は「平和教育を提唱し戦争反対運動を展開した」との英文とともにインターネット上で紹介している。立子山の関係者は、戦後80年の節目に、小惑星命名のPRなどを通して、博士の知名度を高める取り組みを進めていく。 小惑星は推定直径が約5・5キロで、3・7年かけて太陽を周回する。肉眼で捉えることはできないが、11月中旬はおうし座に位置し、福島県からは東の空に輝く木星のすぐ近くにある。 朝河は現在の二本松市に生まれ、父正澄が初代校長を務めた立子山小で学んだ。米国留学後、エール大で教授を務めた。甚野教授によると、日露戦争後の日本の膨張主義を心配し、特に満州事変の頃から日本の未来を憂うようになった。日米開戦を予見し、回避するために奔走。1941(昭和16)年には、昭和天皇宛ての米大統領親書草案を作成し米政府へ働きかけた。