小惑星「アサカワ」戦禍の世照らして 太平洋戦争回避に奔走・朝河貫一 終戦80年控え命名 不戦の機運高める
甚野教授は小惑星への命名を「世界が平和への願いを実現するきっかけになってほしい」とする。 立子山の関係者は、立子山小が8月に創立150周年を迎えたのを機に、国際協調を目指した朝河の思いを共有しようと考えている。立子山で活動するNPO法人地域のみんなのチカラの理事兼事務局長斎藤信行さん(70)は「150年の節目に花を添える形になり喜ばしい」と話している。 ■郷土ゆかりの星々 人のつながり保つ 県内ゆかりの名称がついた小惑星は大野裕明さんが確認しただけでも約50あり、郷土の誇りを育み人々のつながりを保つよりどころになっている。 東京電力福島第1原発事故発生後、大野さんの申請で小惑星に「飯舘村」の名が付いた際、村の関係者は避難した村民を結びつける希望になると歓迎した。大野さんは「小惑星への命名はみんなが一丸となるために意義があることではないか」と話している。 朝河貫一(あさかわ・かんいち) 1873(明治6)年生まれ。福島県尋常中(現安積高)、東京専門学校(現早稲田大)卒。1896年に米ダートマス大へ留学、エール大大学院で博士になった。日欧封建制比較のため鹿児島県入来村の文書を研究し1929(昭和4)年に「入来文書」を出版。1937年にエール大の歴史学教授になった。1948年に74歳で死去。