原辰徳氏の入部で練習環境が一変…“元祖ハマのエース” 遠藤一彦氏・横浜大洋ホエールズのレジェンドが語った東海大野球部裏話 忘れられない巨人・江川卓氏に投げ勝った日
あわや史上初の負け越しでの最多勝!?
1983年に18勝9敗で最多勝のタイトルを獲得した遠藤氏は、翌84年も17勝17敗で2年連続の最多勝に輝いた。 遠藤: 1試合残して16勝17敗だったんですよ。そのとき、中日の鈴木孝政さんと広島の山根和夫、16勝で3人が並んでたんですよ。だけど、負け越しの最多勝は過去にいない。 最終戦に勝たないと負け越しの最多勝になるなと思って頑張った。平松(政次)さんの引退試合も兼ねてたんで、勝ちゲームが平松さんの引退試合というふうになってるんです。 徳光: 一番いい花の持たせ方ですね。 遠藤: 私は別に負け越したくないだけ(笑)。
巨人のビジターユニフォームに憧れ
徳光: 遠藤さんは、やっぱり小さい頃から野球少年だったんですか。 遠藤: いえ、本格的な野球は中学に入ってからです。 徳光: それはどういうきっかけだったんですか。 遠藤: やっぱり長嶋さんですね。テレビやラジオから聞こえてくるのは、長嶋さんの名前でしたから。 徳光: でも、遠藤さんの少年時代には、出身地の福島県には、まだ日本テレビ系列のテレビ局はなかったですよね。 遠藤: ないです。だから、巨人戦はビジターの試合しか見られませんでした。ですから、おもちゃのユニフォームに「TOKYO」って書いてました。「GIANTS」じゃないんですよ(笑)。 徳光: 長嶋さんを見て、何かビビッと来るものがあったわけですか。 遠藤: そうですね。長嶋さんがやっているプレーの雰囲気、打っている雰囲気…、引き込まれるといいますか、憧れますよね。
「勝てば甲子園」の決勝戦で痛恨のボーク
遠藤: 中3のときに夏の甲子園、松山商と三沢の決勝戦を見ていて、「甲子園で野球をやりたい」って思いました。 1969年の夏の甲子園は松山商業(愛媛)と三沢高校(青森)が決勝で対戦。松山商の井上明投手と三沢の太田幸司投手の息詰まる投げ合いで、両チームとも得点が入らず延長18回0対0で引き分けとなる。翌日行われた再試合では、松山商業が4対2で勝ち深紅の優勝旗を手にした。この熱戦は高校野球史上に残る名勝負として語り継がれている。 徳光: あの試合をご覧になったわけだ。 遠藤: もう2日間。ですから、あの2日間のせいで夏休みの宿題が残っちゃいましたね(笑)。 徳光: 高校は学法石川。甲子園を目指して野球の名門校を選ばれた。 遠藤: 当時はまだそうでもなかったんですけどね。 我々が3年になるとき、55回の記念大会で福島県の代表が甲子園に行ける。それまでは福島県と宮城県とで代表決定戦をやってたんですよ。 それで、監督がちょっと力を入れて、学校の近所の中学を回ったようなんです。そのときに私が目に止まったみたいで。 徳光: 甲子園の経験は。 遠藤: ないです。 徳光: 惜しいところまでは行ったんですか。 遠藤: そうですね、2年のときは東北高校(宮城県)と代表決定戦をやりましたし、3年のときは双葉高校と決勝戦を戦って負けました。2年連続で決勝で負けました。 徳光: 遠藤さんが投げてたんですか。 遠藤: 3年のとき、私がずっと連投してきていたので、決勝が始まる前に、監督が「今日は2年生の誰々でいくから」っていう発表をしたんです。でも、私は「最後ですから投げさせてください」と直訴しました。 2回表に先制したんですけれども、その裏、1アウト3塁という場面で、振りかぶったときに、バッターがスクイズの構えをした。そのとき、どういうわけかボールが手から離れなかった。「あ、スクイズだ」ってなって、ボールを握ったまま、投げずにフィニッシュしちゃったんです。投げちゃえばスクイズ失敗もあったわけじゃないですか。それなのに握ったままフィニッシュした。 その後、「あ、いけない」と思って転がしたんですけれど、ボーク。結局、2対1で負けました。 徳光: 惜しかったですね。 遠藤: でも甲子園に行ってたら、多分、私は野球を辞めてたと思います。満足するじゃないですか。そこで野球は終わってると思います。 徳光: そういうこともあるんですかね。じゃあ、災い転じて…、良かったわけですかね。 遠藤: 良かったのかどうかは分かりませんけどね。
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