精神科医が「自分が病みそうになった時」の対処法、 “メンタル”が崩壊しないように自らを守る知恵
精神科医でありながら、詩壇の芥川賞とも呼ばれるH氏賞受賞の詩人としても活躍する尾久守侑氏。そんな尾久氏による、ユーモラスで大まじめな臨床エッセイ『倫理的なサイコパス:ある精神科医の思索』より一部抜粋・編集し、3回にわたって掲載します。 第1回は、「患者さんとの距離の取り方」についてです。 ■言葉がメスになる精神科医 精神科医にとっての言葉は、外科医にとってのメスで、精神療法*は手術に相当するというのは、精神科の業界では非常によく用いられる喩え話である。初心の精神科医に対する戒めとして指導医が使ったり、何かいいことを言ってやろうみたいな精神科医のツイートなどでもしばしば散見される。
*薬物のような物理的手段ではなく、治療者が言葉や態度を利用して心理的に治療する方法のこと。 しかし、あまりにあるあるネタのようになってしまったせいか、最初に喩えられたときと比べて段々とそのインパクトは縮小していて、ほぼ形骸化しているというか、言葉が侵襲性をもっていて患者を致命的に傷つけうるということを真剣に現場で考え続けている人は、私も含めてそこまで多くないような気もする。 なにせ言葉である。ふつうの感覚からすれば、人の皮膚や臓器を切ることに比べれば軽い。軽すぎるといっていい。初めての患者さんと会う瞬間などは当然言葉にも細心の注意を払っているわけだが、慣れた患者さんを診察していたり、疲れていたりすると発話も自動化してしまうというか、気づいたらふつうの感覚でべらべらと喋ってしまいがちである。
しかし、本当に言葉がメスなのであれば、べらべら喋るというのは診察の場においてメスをむやみやたらに振り回しているに等しく、その刃先が患者さんの頬をかすめたり、場合によっては不幸なことにぐさっと刺さってしまったりすることもあるわけである。 ■メスを振り回している自覚のない恐ろしさ 「3年前、初めて先生が言った――――という言葉を時々思い出すんです」 などと突然患者さんが言うことがあり、ややや、これはまずいことになった、私の振り回してしまったメスが当たってしまい、それが今責められているのだ。しかも、私自身はそんなことを言ったことは微塵(みじん)も覚えていない、ややや、どうしよう、ややや、ややや。