精神科医が「自分が病みそうになった時」の対処法、 “メンタル”が崩壊しないように自らを守る知恵
人間として対峙することにはこのような危険が常にあるが、心を相手にするときは、やはり白衣を着っぱなしだとそれ以上理解が進まないことはあり、ただ白衣を脱ぎっぱなしだとただの素人芸になってしまう部分もある。なのでジャケットダンスをするように着たり脱いだりするのがひとまずの折衷案になるのかなと思う。 ちなみにジャケットダンスの例を出すときに私の脳内には郷ひろみとJO1 が浮かんだが、どちらも別の意味で読者全員がイメージできるアーティストではないと思ったので口をつぐんだ。つもりだったのに喋っている。
■多くの医師がとる戦略 一方で、医師が自らの心を守るためには、ジャケットダンスのような七面倒臭いことはさっさとやめて、白衣を2枚着る、白衣の下にケーシー(ググってみてください)を着る、スクラブ(ググってみてください)を着る、みたいなことをすれば良いし、多くの医師はむしろこちらの戦略をとることのほうが多いのではないか。 医師も人間であって、現場でやりとりをしていると傷つくことが頻繁にある。精神科医が一般の人に聞かれやすい質問第一位はおそらく今も昔も「そういう人たちの話を聞いていて、自分が病んでしまうってことはないんですか?」だが、まさにそういう話である。
この質問に対してはいつも適当に答えてきたなと思うのだが、その適当な答えを思い出してみると、「まあ話きいて病むような人はあんまり精神科選ばないかもね」とか「慣れた精神科医は同じ人間という距離感で接するんじゃなくて、『病気を診察する』という感覚だから、何言われても傷つかないよ」といったことを大抵は言っているなと思い出す。つまり白衣が脱げて人間が見えてしまい、傷ついたり傷つけたりするような状況はプロじゃないよ、みたいなことを自ら言っているのである。
自分の言葉が人を傷つけるかもしれない、傷つけたかもしれないという距離にいつづければ、まあ病んでしまうだろう。え、病まないですかね。分からないが、少なくとも私は病んでしまう。なので、病みそうになったら一度撤退するというか、「直面化して考えさせないといけない場面だったよね」などと、こちらの立場を正当化することで、それでよしとしてしまう。白衣を着るのである。 距離をとって考えてみることで楽になり、逆に次の展開を考えやすくなったり、視界が開けたりすることはありうる。こうした態度は “メンタル”が崩壊しないように自らを守る知恵であり、まず精神科医が最初に身につけるべきだということを思い出した。