絵本『あらしのよるに』が原作の新作歌舞伎で、中村壱太郎が山羊のめいに
江戸時代の初期に“傾奇者(かぶきもの)”たちが歌舞伎の原型を創り上げたように、令和の時代も花形歌舞伎俳優たちが歌舞伎の未来のために奮闘している。そんな彼らの歌舞伎に対する熱い思いを、舞台での美しい姿を切り取った撮り下ろし写真とともにお届けする。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン 『あらしのよるに』めい=中村壱太郎とがぶ=中村獅童(写真)
絵本『あらしのよるに』を原作とした新作歌舞伎が誕生したのは、2015年9月の京都・南座でのこと。狼のがぶと山羊のめいをそれぞれ中村獅童さんと尾上松也さんが演じ、原作の世界観を生かしつつ、古典歌舞伎の演出や技法を取り入れた舞台は、幅広い世代に受け容れられて、再演を重ねてきた。2024年は原作の発刊から30年という節目を迎えることを記念し、めい役に新たに中村壱太郎さんを迎え、縁のある南座で再演されている。 ──新作歌舞伎『あらしのよるに』にはどのような印象をお持ちですか? 壱太郎:実は2015年の初演を南座で拝見しています。ちょうど父(中村鴈治郎)の襲名披露公演の巡業でびわ湖ホールに出演する予定があったので、京都に立ち寄ることができました。客席が盛り上がっている光景が印象に残っていて、とても思い出深い作品です。子どもたちや学生さんがたくさん観に来てくれていたので、客席から子どもの笑い声が聞こえてきて、素敵な雰囲気だったのを覚えています。作品としてもとてもわかりやすくて、友情が描かれていることがまっすぐにメッセージとして伝わってくると思いました。 ──原作の絵本は読まれましたか? 壱太郎:今回、獅童のお兄さんからお声がけいただいた時に「まずは原作の絵本を読んでみるといいよ」とおっしゃってくださいました。演じる上では過去の公演の映像がありますから、松也のお兄さんがなさっためいを見ることはできるのですが、まずは絵本を読みました。僕にとっては意外とショッキングで胸にグサッとくるものがある作品だということを知ることができました。舞台になると、どうしてもビジュアルから入ってくるのですが、絵本だと文字で表現されているので、がぶとめいのことがより純粋に描かれている感じがしました。舞台と絵本にはそういう意味での伝わり方の違いはあるかもしれませんが、読んでいて、切なくもなるし、良い意味で悲しい作品だと感じました。 ──めいを演じることになった時の心境と演じる上で大事にしていることを教えてください。 壱太郎:めいの扮装写真を撮影した時は、普通の女方とは違って、山羊を演じることがコスプレをしているように感じて少し恥ずかしい気持ちになりました(笑)。写真を撮る前には松也のお兄さんにご連絡させていただいて、演じる上での特徴的なことをお伺いして、遠隔で助けていただきながら進めました。歌舞伎では狐や猫など、動物を表現することがありますが、山羊はそれらとは違うと思っていたところ、松也のお兄さんなりに山羊の蹄を手の握り方で表現することを考えていらっしゃったので、それを教えてくださいました。 獅童のお兄さんからは「松也さんの通りではなくてもいいから、自分なりに解釈してかず(壱太郎)のめいを演じればいいんだよ」と言っていただきました。でも、歌舞伎の古典作品でないとはいうものの、松也のお兄さんが3回演じて築いてこられたものもあると思うので、一挙手一投足を真似ることはなくてもお兄さんが創り出した雰囲気は大事にして踏襲したいと思っています。ですから、松也のお兄さんが僕のめいをご覧になってどう思われるかは気になります。 狼にとって山羊は獲物なので本来ならば相容れないものですが、動物を演じることに捕らわれず、人間の真理や繋がりといった普遍的なことを問いかけてくる作品でもあると思っています。 ──獅童さんが演じるがぶと対峙してどんなことを感じていますか? 壱太郎:獅童のお兄さんとは新作歌舞伎で久しぶりにたっぷりとお芝居ができることが嬉しいです。僕は2019年の「オフシアター歌舞伎」でご一緒したときに、獅童のお兄さんと「舞台上でキャッチボールをすること、芝居を受けること」を感じて、役者として演じることの根本的なことに気づかせていただきました。今回の『あらしのよるに』でも同じなのですが、獅童のお兄さんは「その場で起こることを大事にしてほしい」とおっしゃっていて、お芝居を通してパスを投げたり受け止めたりしてくださいます。“獅童のお兄さんがそうされたなら、僕もこうしよう”と挑んでみたいと思わせてくださって、動きとお芝居で対峙してくださいます。こうしたやりとりの積み重ねで構築されていく関係があって、できていくお芝居というものが絶対にあるということを感じています。 ──今回の南座での再演で手応えとして実感していることはありますか? 壱太郎:作品が伝えたいテーマが変わることはありませんが、僕が演じるめいや坂東新悟くんが演じるみい姫は配役が変わっているので、カンパニーの雰囲気も変わってくるでしょうし、本当にそこで生まれるものを大事にすることで自ずと変わっていく部分もあるでしょう。これまでとは違った何かができるかもしれないですね。 でも、『あらしのよるに』は新しいだけではなく、義太夫が語るという古典の作品に通じるものがあるところも素敵だと思っています。義太夫を通して登場人物たちの心情が理解できる面もあるので、しっかりと義太夫に乗った台詞を意識して演じるのも大事だと思います。 ──2024年だけを振り返ってもとても幅広くご活躍をされていますが、壱太郎さんはどんなことを目指して取り組んでいらっしゃいますか? 壱太郎:僕が必ず帰るところは上方歌舞伎の成駒家です。今は父も叔父(中村扇雀)も従兄弟の(中村)虎之介も、それぞれがいろいろな道を経験していくことが、家の発展にも繋がると思っています。特に虎之介は中村屋の勘九郎お兄さん、七之助お兄さんのところで経験を重ねています。僕自身も30代、40代はご縁が繋がっていく時期だと思いますので、出来る限りの経験をさせていただきます。今年8月にマドリードでフラメンコと共演させていただいたのも、昨年のトレドの公演に招聘されたことがきっかけでしたし、そもそも新作歌舞伎の『GOEMON 石川五右衛門』に出演していなければ、このご縁はありませんでした。上方歌舞伎の源流とは違う流れにも足を踏み入れていくことが中村壱太郎として歩んでいく上でも必要なことだと考えています。