YouTubeは格好つける必要がないーー 売れっ子から失踪…カジサックが見つけた居場所
失踪、「はねトび」終了、空回りの日々
仕事のために東京と大阪を慌ただしく行き来する生活が続き、ほとんど寝られなかった。全国ネットのテレビの仕事が増えてプレッシャーはどんどん大きくなるばかり。気鋭のスーパールーキーも、テレビの世界では下積み経験のないひよっ子にすぎなかった。 精神的に極限まで追い詰められた梶原は、とうとう連絡を絶って失踪してしまった。でも、相方の西野は辛抱強く彼が戻ってくるのを待ち続けた。休養を経て梶原は何とか復帰することができたが、心の霧は晴れないままだった。 『はねるのトびら』はゴールデンに進出して、視聴率20%以上を記録する人気番組に成長した。しかし、その頃すでにメンバーの気持ちはバラバラになっていて、崩壊の兆しは見えていた。焦った梶原は総合演出の近藤真広に、全員を横並びで扱うのではなく梶原を中心にするという大胆な改革案を持ちかけたが、近藤は首を縦に振らなかった。 「僕は『はねトび』を愛していたし、『はねトび』が終わったらキングコングも終わると思っていたから、絶対に何とかしないといけないと必死になっていたんです。でも、完全に僕の独り相撲でした」 2012年、『はねるのトびら』は終了して、メンバーは散り散りになった。その頃、相方の西野は、絵本制作など個人の創作活動に没頭して、テレビから距離を置き始めていた。梶原は自分がキングコングの看板を守らなくてはいけないと思い、ひな壇形式のトーク番組などにも積極的に出ていった。 「でも、ダメでしたね。僕らはずっと先輩芸人と絡んでこなかったので、共演する先輩方とも関係性がなくてうまくいかないんです。それに、性格的に自分からガツガツいくタイプでもないので、なかなか前に出られなかった。いま思うと失敗する理由しかなかったです」
「ほら、いけるやん」つかんだ手応え
テレビでもなかなか結果を残せず、梶原は窮地に追い込まれていた。そんなときに衝撃的な体験をした。10~20代の若い観客が集まるイベントにゲストとして出演した際、シークレットゲストとして登場したYouTuberの水溜りボンドとフィッシャーズに、大歓声が浴びせられたのだ。自分たち芸人が出てきたときとは比べものにならないほど観客が熱狂していた。 YouTuberが若者に人気があるということは何となく知っていたが、それを初めて肌で感じて驚いた。新しい時代が始まっていると思い、YouTubeをチェックするようになった。若い人たちはYouTubeでどんなものを見ているのか、何を面白いと思っているのか。そう考えてのめり込んでいくうちに、自分でもYouTubeを使って何か面白いことができないか、と考えるようになっていた。 「半年ぐらいYouTubeを見あさっているうちに、芸人でYouTubeを本格的にやっている人はいないから、そこにチャンスがあるな、とひらめいたんです。当時は芸人とYouTuberの間に距離があったし、自分からYouTuberに絡みにいく芸人もいなかった。だから、自分が最初にやればいいと思ったんです」 梶原はYouTuberに道場破りを仕掛けていった。人気YouTuberのラファエルに頼み込んで、彼のチャンネルに出演して、2人きりで長時間のトークをした。その後も、ヒカル、へきトラハウスのチャンネルに立て続けに出演した。日常的にYouTuberを見ていた層から「梶原ってこんなに面白かったの?」「芸人、まじヤバい」といった好意的なコメントが書き込まれるのを見て、たしかな手ごたえを感じた。 「ほら、いけるやん、と思いました。当時の僕は腐り切っていたので、芸人の世界からもYouTuberの世界からも嫌われていたと思うんですね。でも、ラファエルさん、ヒカルさん、へきトラハウスさんのところで名刺を配っておいたことで、スタートダッシュを決めることができたんです」 2018年、梶原はYouTuber「カジサック」として本格的にYouTubeでの活動を始めた。ある程度知名度のある芸人がここまで本気でYouTuberをやるのは初めてのことだった。顔が知られていて、しゃべりが達者で、編集にも指示が出せる。それらの点から、芸人は間違いなくYouTuberに向いていると梶原は確信していた。YouTuberとしての彼の武器は「テレビの間(ま)を取り入れた編集」と「カメラ目線」である。 「YouTuberの人は間を細かく切り詰める『ジェットカット』を多用するのが普通だったんです。でも、テレビの編集では間を効果的に使う。僕の臆測ですけど、ジェットカットができたのってフリとオチをうまく作れないからだと思うんですね。僕は芸人なので自分で振ってボケてツッコめるから、YouTubeの編集とテレビの編集のいいところを足して2で割ったことができたんです」