YouTubeは格好つける必要がないーー 売れっ子から失踪…カジサックが見つけた居場所
人気YouTuber「カジサック」として知られるキングコングの梶原雄太は、芸人YouTuberの先駆けにしてトップランナーである。芸人養成所時代にNHKの漫才コンテストで最優秀賞を受賞して、ロケットスタートを切った。瞬く間にテレビの人気者になって栄光をつかんだが、その陰では苦悩を抱えていた。そんな彼がYouTuberとして再起することができたのはなぜなのか。(文中敬称略 取材・文:ラリー遠田/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
NSC入学、華がある西野との出会い
1980年、梶原雄太は働き者の母親と酒飲みでだらしない父親の間に生まれた。父親は物心ついて間もない息子をパチンコ屋や飲み屋に連れ回した。そこに梶原の芸人人生の原点があった。 「3歳のときに親父にスナックに連れて行かれて、美川憲一さんのものまねで『さそり座の女』を歌ったら、その場にいたママさんやお客さんがみんな笑って拍手してくれたんです。あれが僕の芸人としてのスタートだったかもしれません」 子供の頃から人を笑わせるのが好きな明るいキャラクターで、運動神経は抜群。中学生のときには将来は芸人になると決めていた。高校卒業後、吉本興業の芸人養成所「NSC大阪」に入学した。この時点で梶原には「絶対に売れる」という根拠のない自信があった。 在学中に同期生とコンビを組み、養成所でも高く評価されて月間MVPに選ばれた。そんな梶原に運命的な瞬間が訪れた。彼らと同じく月間MVPに選ばれた優秀な生徒だけが集められる合同授業の場で、別のコンビを組んでいた1人の男に目を奪われたのだ。 とんでもなく華があって見た目がいい。そしてネタも面白い。「西野亮廣」と名乗るその男をひと目見た瞬間から目が離せなくなり、「こいつとコンビを組めば絶対に売れる」と確信した。梶原はもともと組んでいたコンビを解消して、西野と「キングコング」を結成した。伝説の始まりだった。
突き進む売れっ子街道… その裏の苦悩
「その頃から芸人が売れるには見た目が大事だと思っていたんです。西野も僕と同じで華があって目立つタイプだった。養成所の先生にも『お前らが組んだらすごいことになるぞ』と言われていたし、組んだ時点でこれはいけるな、と思っていました」 そこからキングコングは芸人史上最速で売れっ子街道を突き進んでいった。在学中に「NHK上方漫才コンテスト」最優秀賞を受賞して、関西の新人賞レースを総なめ。2001年には結成2年で始まったばかりの『M-1グランプリ』のファイナリストになった。テレビの仕事も順調に増えていき、同年にはフジテレビの深夜番組『はねるのトびら』が始まった。 『はねるのトびら』は若者から絶大な支持を得る人気コント番組となり、どんどん放送時間帯が繰り上がっていった。何もかも順調に見えたのだが、梶原は人知れず苦悩を抱えていた。 「『はねるのトびら』が始まってからはずっと苦しかったですね。ほかの芸人はコントをやっている人ばかりだし、スタッフも東京の人ばかり。僕らだけ経験不足で実力が足りないのはわかっていたから、(フジテレビに行く)ゆりかもめに乗るときから震えてました。でも、誰にも弱音を吐けなくて、ずっと強がっていました」