唯一とされる映像『震災当日の医療現場』外科部長が命じた蘇生中止「やることやって、あかんかったら次の人を助けなあかん」阪神・淡路大震災トリアージの瞬間映像
最大震度7。倒壊家屋や建物に取り残された人々。焼け野原になった輪島朝市通りの周辺。石川県の能登半島を中心に起きている大規模な震災は、まもなく発生から29年を迎える阪神・淡路大震災で目にしたものを思い起こさせる光景もある。 【画像を見る】外科部長が命じた蘇生中止 緊迫する当日医療現場の「唯一」とされる映像 ――1995年1月17日。兵庫・淡路島の病院で撮影されたビデオには、混乱する医療現場で『命の選択』を迫られる医療従事者の姿が映し出されていた。これは地震発生当日の医療現場を撮影した唯一とされる映像だ。
県立淡路病院で撮影された阪神・淡路大震災『当日の映像』
(栗栖茂医師)「これが私が撮ったオリジナルのフルカセットのテープです。(Q撮影した時のことは覚えていますか?)非常に新鮮に、というか鮮烈に覚えていますね」 当時の県立淡路病院で外科医として勤務していた栗栖茂さん。普段から手術や治療を記録用に撮影していたという。あの日も何気なくカメラを回し始めた。午前9時前、なだれこむように傷病者を運び入れる医師や看護師たち。震災で北部を中心に大きな被害が出た淡路島で、唯一の救命救急病院だった県立淡路病院には、地震発生から2時間ほどが経ったころから次々と患者が運ばれてきた。 「ストレッチャーもう2台!」「チューブちょうだい!」「はさみ貸して!」「モスキートとティッシュくれる?」 「もう1人、挿管!」「建物の下敷きになっていてね」「名前は?名前分かる?」 県立淡路病院がこの日に対応した傷病者は少なくとも70人。緊急手術も実施された。
現場を指揮した外科部長の冷静な『トリアージ=命の選択』
当時3年目の内科医で、その日は当直明けだった水谷和郎さん。現在は神戸市の六甲アイランドにある六甲アイランド甲南病院で循環器内科部長として勤務している。情報が入らず混乱した現場の光景が今も脳裏から離れない。 (水谷和郎医師)「何が起きているのか、本当にそれこそテレビで神戸の被害が映っているだけで、淡路の中で本当に何が起きているのかが全くわからない状況で。救急隊の方から連絡をもらって、その情報を中に入れるような感じ」 現場は野戦病院のような様相を呈していた。医師や看護師の誰もが未経験の状況。そんな時に1人の医師の声が響いた。