唯一とされる映像『震災当日の医療現場』外科部長が命じた蘇生中止「やることやって、あかんかったら次の人を助けなあかん」阪神・淡路大震災トリアージの瞬間映像
あの日の判断を振り返った松田医師
(栗栖茂医師)「そういうケガの状況とかをですね、しつこく撮るというのは、さすがにちょっと躊躇われる部分がありますんでね。やっぱり松田先生が『撮れ』と言ってくれたから徹底的に撮れたと。そういうことになるんでしょうね。それぞれ見方はいろいろあるかもわかりませんけれども、非常に貴重なものを撮れたっていうのは非常に良かったなと。それだけですね」 1月17日、県立淡路病院では、10代を含む6人に蘇生中止の末、死亡診断が下された。 指揮を執った松田さんはその後、当日の対応をこう振り返っていた。 (松田昌三医師 震災発生後の取材)「助けられない人を頑張ってそこに手を取られますと、助けられる人も助けられなくなる。そういうことで患者を選ぶ。そりゃあ阿鼻叫喚といいますかね、ちょっと口に出して言っても始まりませんな」 松田さんは震災の8年後にこの世を去った。
未来を担う学生に災害医療を継ぐ
医師になって3年目。比較的経験の浅い段階で目の当たりにしたトリアージ。震災から数年が経つと、水谷さんは記憶から目を背けるようになった。 (水谷和郎医師)「震災の話っていう段階でもうボロボロ泣いてしまって、見られなくなってきて」 しかし、震災から10年目、当時勤めていた姫路の病院で、災害に対する意識の差に愕然とする。 (水谷和郎医師)「なんとなく神戸と姫路なので、さぞかし震災の時も隣だから大変な思いをしたんだろうと勝手に解釈していたんです。ところが蓋を開けてみると、いかにちょっとでも離れていくと、震災っていうことが皆さん被害がそんなに大きくない。大変なことと思っていない。ふとそれで栗栖先生のビデオを思い出したんですね。ちょっと待って、そうしたら、あの日いかに大変やったんかというのを、口ではもう泣いてしまうからしゃべれないので、映像で見てもらうというのができるんじゃないかなと」 いつかまた大災害が起きた時のために。災害医療の厳しさを少しでも知ってもらおうと、再びあの日の記憶と映像に向き合うことを決めた。それ以来、毎年、救急救命士を目指す学生や病院関係者などに講演を続けている。 (大阪医専で話した水谷和郎医師)「決して、震災の時にこうしましょうというお話ではなくて、皆さんがこの現場にいたらどうしよう、というのをぜひ考えていただきたい。言葉は悪いですけれど、場合によっては見捨てることもやむなしの切り捨ての医療、ここでやめましょうということを、まさにやっていかないといけないというのが災害医療ということになるわけです。その切り替えをしないといけない。皆さんの頭の中で切り替えができるかどうかにかかってきます」