南こうせつが語った、26歳で「田舎暮らし」を始めた理由と健康の秘訣 「畑は妻と一からつくった宝物」
バーボンを飲みながら吉田拓郎とけんか
貴方はもう忘れたかしら――。昭和を代表する名曲「神田川」の誕生から50年余り。今なお現役の最前線で歌い続けるフォークシンガー・南こうせつが、この半世紀で求めてきたものとは何なのか。音楽活動、田舎暮らし、そして健康の秘訣(ひけつ)まで、75歳を迎えた本人が語り尽くした。【前後編の後編】 【写真を見る】「妻とつくった宝物」と語る自宅の畑 ***
〈前編【「『神田川』という曲を背負い、苦しい思いも」 南こうせつが明かす名曲秘話 「ずっと歌詞の意味を勘違いしていた」】では、名曲「神田川」を巡る秘話などについて語ってもらった。 後編では、55年の歌手活動に匹敵するほど長い「田舎暮らし」について語り尽くしてもらう。26歳のトップミュージシャンが地方移住を決断した心境とは、いかなるものだったのか――〉 東京生活は、刺激的で本当に楽しかった。馬込の四畳半を皮切りに、高円寺、四谷三丁目と移り住み、やがて憧れの青山へ。街中でハイカラな歌が流れ、海外のおしゃれな服を着た人がたくさん歩いている。気付くと会話がぴゅーっと世界に飛んでいった感じがあって、面白かったなぁ。 原宿のペニーレーンというお店ではいろんな人との出会いがあったし、それこそバーボンを飲みながら拓郎さんともここでよくけんかしたことを思い出します。そうそう、彼とはついこの前にも会って、「みんなコンサートを待ってるよ」と伝えると、「うるせえ」「これで君と会うことはもうないな」という、いつもの様子で安心しました(笑)。
「自分が求めていたのはこれだ」
それはともかく、こうして憧れの東京で刺激的な日々を送ってはいたのですが、田舎生まれの僕にとって、「何かが足りない」という感覚もまた、ずっと抜けきれなかった。一度田舎を離れたからこそ、僕はやっぱり自然が好きなんだと気付くことができたわけです。 たしかに、20代で東京を離れるというのは、大きな決断だったかもしれない。だけど、いつか、いつかと思っているうちに、10年も20年もあっという間に過ぎてしまうもの。だから僕は、そう思い立ったときには、「明日行かないと」という気持ちだったんです。もうね、やりたいと思ったらすぐやらないと。若い人たちには一番言いたいことです。 こうして26歳のときに移り住んだのが、山梨県の河口湖畔、標高1200メートルの富士山の麓です。ここの暮らしは本当に寒かった……。冬は氷点下20度まで下がり、居間に置いておいた瓶ビールが凍って破裂したこともあったくらいですから。だけど、実家を出てからはじめて田舎で年明けを迎えたときに、「あぁ、自分が求めていたのはこれだ」と分かったんですよね。