83歳ドリー・ファンク&がんステージ4西村修&大仁田厚、電流爆破で見せた「この夏一番優しい夜」
「テリー・ファンク1周忌追悼・大仁田厚デビュー50周年記念大会『川崎伝説2024』」が8月24日に神奈川・富士通スタジアム川崎(旧川崎球場)で開催された。元週刊プロレス記者、小島和宏がレポートする。 【写真】まさかの電流爆破! 圧倒的迫力、実際の試合の模様【6点】 「もう一度だけでいい。テリー・ファンクを日本に呼びたいんだよ」 大仁田厚から、そんな話を聞かされたのは2021年の年末のことだった。 テリー・ファンクは昭和の全日本プロレスマットを沸かせたスーパーアイドル。大仁田にとっては兄貴分、ある意味、師弟関係にあった。1983年に一度、引退をしたが、その後、復活。1993年5月5日には川崎球場で大仁田厚と『ノーロープ有刺鉄線電流爆破超大型時限爆弾デスマッチ』で激突。爆破デスマッチ史上に残る名勝負として、いまだ語り草になっている。 その伝説の地である川崎球場跡地にテリーを呼びたい、と大仁田は何度も何度も熱く語った。だが、その時点でテリーは試合をできるようなコンディションではなかった。 「いいんだよ、試合をしなくたって。川崎球場があった場所にテーマ曲の『スピニング・トーホールド』が流れて、ゆっくりとテリーが入場してきてくれれば、それだけでいい。みんなもそれを観たいんじゃないのかな? いいじゃねぇか。試合をしなくても、それも“プロレス”だろ?」 たしかに観たい、と思った。もし、実現するのなら、万難を排してでもかけつけようとも思った。だが、その日がやってくる前にテリーは亡くなってしまった。もう伝説の地に『スピニング・トーホールド』が流れることはない、とあきらめていた。 テリーが亡くなってから1年。大仁田は川崎球場跡地である富士通スタジアム川崎にて1周忌興行を開催することを発表。テリーの兄であるドリー・ファンク・ジュニアを招聘するプランをブチあげた。テリーとのザ・ファンクスで一世を風靡したドリーもすでに83歳。試合に出場されるだけでも大変な話だというのに、大仁田は電流爆破のリングにあげると言い出した。さすがにこれには賛否両論が巻き起こったが、もう、その時点で大仁田の勝ち、なのである。世間への喧嘩の売り方は、さすが邪道流である。 だが、けっして話題づくりのためだけなんかではない。