83歳ドリー・ファンク&がんステージ4西村修&大仁田厚、電流爆破で見せた「この夏一番優しい夜」
大仁田のピュアな気持ちはまったく揺らいでいなかった
3年前から「テリーを呼びたい」と熱望していた大仁田の想いが、形を変えて、ドリーとの電流爆破デスマッチになっただけ。世間を騒がせることにはなったが、大仁田のピュアな気持ちはまったく揺らいでいなかった。 ドリーのパートナーには元・新日本プロレスで現在、文京区議会議員を務める西村修が名乗りをあげたが、西村は現在、食道がんで闘病中。しかもステージ4という厳しい状況であることを公表している。出場者に関する情報量があまりにも多すぎる一戦となったが、試合の数日前から首都圏では夕方だけでなく、昼でも夜でもゲリラ豪雨が襲ってくる、という大気が不安定な状況下でもあった。雨天決行と謳ってはいるが、雷雨になったら、さすがに電流爆破デスマッチは危険すぎてできない。当日まで「本当に試合は成立するのだろうか?」という不安でいっぱいだった。 そして、8月24日。 前日までの荒れた天気がウソだったように、雨の心配はまったくなくなった。それだけでなく酷暑続きの今年の夏が幻だったのではないか、と疑いたくなるぐらい、爽やかな風が会場内を吹き抜けていき、汗ひとつかかずに観戦できるという絶好にプロレス日和になった。これはもう天国のテリー・ファンクのいたずら、としか思えない。 ドリーはこれが最後の来日と発表されており、テリーの追悼セレモニーも開催されるとあって、会場にはたくさんのファンが集まった。大仁田に熱狂した人たち、そしてテリーを愛した人たち。最近、プロレス会場に足を運んでいなかった層も、この日ばかりは、とたくさん戻ってきてくれた。実際、20年ぐらい顔を合わせていなかった知人とも再会できたし、いつもなら退屈なデスマッチ設営のための休憩時間も、いろんな人たちとの交歓で一瞬のように感じられたほど。大仁田が、ドリーが、そしてテリーがたくさんの縁を紡いでくれた。 川崎に流れる『スピニング・トーホールド』の旋律。自然発生する「ドリー」コール。ゆっくりと入場してくるドリー・ファンク・ジュニア。曲が流れ終わってもリングに上がることができないほど、ゆっくりとした入場シーンだったが、そもそもテリーの入場シーンだけを見てもらおう、と大仁田は考えていたわけで、そのプランが完遂されたようにも思えた。 近年、ドリーはリングにムチを持ち込み、それを振り回すという試合スタイルがメインとなっていたが、この日は体ひとつでリングイン。西村のサポートでかつての十八番であるエルボーやスピニング・トーホールドを披露。もう、これだけで大満足だ。ドリーが技を出してくれるだけで、涙が出てくる。爆破を観に来ているはずのファンが「頼むから、ドリーだけは爆破に巻きこまないでくれ!」と祈りまくる、という不思議な空間が生まれていた。世界でいちばんやさしい場所が川崎にあった。けっして激闘とはいえないけれど、素敵なプロレスを堪能できたような気がする。 試合は西村が勝利。ドリーを守り抜き、自らも文字通り、リングから生還した。本来なら、この日の興行は大仁田厚のプロレスデビュー50周年がクローズアップされるべきだったのだが、あきらかに大仁田が一歩引いて、ドリーと西村を主役にしていた。テリーへの想いと、ドリーへのリスペクトがそこにはある。だからデスマッチなのに清々しくて、爽やかなものになった。古希での電流爆破デスマッチ、という近未来の目標を掲げている大仁田にとって、50周年は通過点、ということなのだろう。 ファンクスではテリーが太陽で、ドリーが月といったイメージだったが、この日ばかりは天国のテリーが月のように空から見守り、ドリーが爆破のリングで太陽のように輝いた。ちょっとだけ昭和にタイムスリップしたかのような幻想的な夜は、こうして幕を閉じた。こんな素敵な空間をクリエイトしてくれた大仁田厚には感謝しかない。 ありがとうドリー、さようならテリー。ザ・ファンクス、フォーエバー!
小島 和宏