沸騰するアートマーケットの裏に「贋作の世界」…県立美術館が“6000万円超”で購入も「大物贋作師」の告白で大トラブルに
贋作は人気のバロメーター
メッツァンジェの件については真贋は未決だが、美術の世界における贋作の例は枚挙にいとまがない。「贋作は人気のバロメーター」という言葉がある。贋作が出てくるようになったというのは、人気画家になった証しという意味である。 17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメール(1632~75年)の1枚の贋作が世を騒がせたのは、第二次世界大戦が終わった1945年のことだった。「エマオの食事」というタイトルのその油彩画は、フェルメールの作品として、1937年、オランダ・ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館に売られた。贋作を描いたのは、ハン・ファン・メーヘレンという人物だ。この件に関しては、フランク・ウイン著『フェルメールになれなかった男 20世紀最大の贋作事件』(小林頼子/池田みゆき訳、ちくま文庫)に詳しく記述されている。 この事件においては、極めて重要なことがあるので記しておきたい。同美術館の館長や美術評論家が真作と認めて52万ギルダーという高額で購入するにいたったことだ。今でこそ、美術館がごった返すほどの動員力を見せるフェルメールだが、20世紀前半は、いったん埋もれていたこの偉大な画家の再評価がなされようとした時期だった。フェルメールがまさに「人気画家」になろうとしていたからこそ、贋作が出てきたのである。 この贋作が少々特殊だったのは、キリストが食事をする一場面を描いた「エマオの食事」はフェルメールの他の作品に似せて描いたのではなかったことだ。「エマオの食事」は、カラヴァッジョなどの画家が描いた例は知られていたが、フェルメールにおいては未発見の画題だった。一方、カンヴァスは17世紀、すなわち、フェルメールの時代のものを再利用していたという。この「新発見」の作品は、美術の専門家を見事に餌食にした。美術館で購入すれば、フェルメール研究が一段進むうえ、館蔵の目玉作品になるのではないか。そんな心理を突いたのである。 贋作であることがわかったのは、贋作者のメーヘレン自身の告白による。ただし、すぐには信じてもらえず、この作品を真作と「鑑定」した専門家たちは、メーヘレンの話を嘘と決めつけた。贋作であることが本当なら、自分たちのメンツがつぶれるということもあったのだろう。メーヘレンは関係者に、制作中の贋作が多数あった贋作工房を見せることで、ようやく信じてもらえたという。 ちなみに、メーヘレンはなぜ告白したのか。当時のドイツでナチス党に多くの贋作を売っていたメーヘレンが、敗戦によって同党との共謀者と見られないための苦肉の策だった。メーヘレンは主体的にナチス党を欺いたことを主張し、罪から逃れようとしたのである。 この話からは、研究者や批評家の心理を突く極めて巧妙な贋作を作りえたことがわかる。専門家までを騙しうる贋作が存在したのだ。 後編「美術品コレクターの「キャバレー王」はなぜわざと“贋作”を購入していたのか 素人が贋作を掴まされない方法とは」では、先達コレクターのエピソードを交え、贋作の傾向と対策をご紹介する。
小川 敦生(おがわ・あつお) 多摩美術大学教授 1959年生。東大文学部美術史科卒業後、「日経アート」誌編集長、日経新聞文化部美術担当記者などを経て、2012年より現職。近著に『美術の経済』がある。 デイリー新潮編集部
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