ブリング・ミー・ザ・ホライズン、サマーソニックで示した「孤独を共有する」新時代のヘッドライナー観
8月17日・18日のサマーソニックにヘッドライナーとして登場したブリング・ミー・ザ・ホライズン(Bring Me The Horizon)。18日・東京公演の模様をライター・和田信一郎(s.h.i.)がレポート。 【写真ギャラリー】ブリング・ミー・ザ・ホライズン×BABYMETAL サマソニ東京公演 (記事未掲載カット多数) * 本当に素晴らしいライブだった。日本のゲームをオマージュした演出はNEX_FESTの延長線上、今年を代表する傑作となったニューアルバム『POST HUMAN: NeX GEn』のモードというよりはベストヒットの構成だったが、様々な音楽ファンが集まり予備知識なしで観る人も多いフェスの場ではこれこそが正解だった。バンドサウンドは完全にスタジアムクラスになっているのに、持ち前の親密さはまったく損なわれない。ネガティブな感情を慈しみあい無理なく前を向く音楽がこれほどの規模で成り立つのは稀ではないか。そうした意味において、今回のブリング・ミー・ザ・ホライズン(以下、BMTH)のライブは、リンキン・パークの再来ともいえる極上のパフォーマンスだった。 それにしても、2009年のサマーソニックではアイランドステージに出演し、数百人規模のライブハウスツアーを軸に活動を続けてきたバンドが、これほどの大会場を揺らすことになるのを観るのは感慨深いものだった。「DarkSide」や「MANTRA」をこの規模の会場で聴くと楽曲のスタジアムロック性に気付かされるし、メタルコア流のブレイクダウンが冴える「Sleepwalking」「Shadow Moses」などでピットが多発するのも凄まじい。その一方で、「Follow You」や「LosT」ではオリヴァー・サイクスならではのポップシンガーとしての魅力がよく映えていたし、そうした親しみ深い声質を芯に据えつつ鋭いエッジを加える歌唱表現は、アンコールの代表曲群「Doomed」「Drown」「Throne」でいっそう輝いていた。 観客も全曲で合唱を続け、全力で楽しみながらバンドを盛り立てていく。最前列付近でボードを掲げたファンがリードボーカルを任される「Antivist」では、そこに向けて準備をしてきた猛者が優れたステージングをみせる。というふうに、今回のBMTHのパフォーマンスは、ライブハウスにおける双方向性のコミュニケーションをそのままスタジアム規模に拡大したものだった。会場の大きさに負けている様子は一切なく、地に足の着いた振る舞いでフロア全体を盛り上げる。この場に立ち会った誰もがヘッドライナーぶりに納得したのではないだろうか。 今年のサマーソニックを考えるにあたって一つの重要なポイントになるのが、ダークな世界観やメンタルヘルスの問題に取り組むロックバンドが、オールジャンルの大規模フェスのトリを飾ったことだろう。例えば、ライブ本編の終盤に演奏された「LosT」はポップパンク流の速く明るい曲調だが、歌詞のテーマはケタミン中毒とそのリハビリで、薬物に溺れ何もできない自分に憤るさまが“Red crescent moons all over my hands”(握りしめた手のひら全体に爪痕が残る様子を“赤い三日月たち”に喩える)のように表現されている。また、中盤に披露された遅く重い「Kool-Aid」は、アメリカ発祥の粉末ジュースの商品名をタイトルにしつつ、そこから生まれたdrink the Kool-Aid(何かを盲信したり同調圧力に屈すること)という言い回しを用いて、ファンがBMTHを無批判に崇めることの危うさをも示唆している。 BMTHの楽曲はいずれもキャッチーなメロディに満ちていて、ヘヴィなロックに馴染みのない人をも惹き込む訴求力や間口の広さがあるのだが、そこで表現されているのは寂しさや哀しさ、怒りや嘆きといった暗い感情であることが多い。そうした音楽は聴き手を過度に鼓舞せず、ほどよく冷たい水が肌を潤すように寄り添い、無理なく背中を押してくれる。今回のライブをアリーナで体験した人の感想に「モッシュピットの向こう側から号泣しながら歌詞を叫んでるファンが走ってくるし、こっちも号泣しながら歌詞を叫んで走ってる」というものがあったが、これはBMTHの表現力をとてもよく表している。過去にサマーソニックのヘッドライナーを務めたマイ・ケミカル・ロマンスやリンキン・パーク(BMTHはその両方から大きな影響を受けている)にも同様の表現性があるが、エクストリームなメタルやハードコアから出発したBMTHは、そうしたバンドよりも数段激しくフィジカルに訴える力があり、暗く俯きがちな雰囲気とストレスからの発散効果を両立してくれる。 これほどの規模の会場なのにある種の親密さが損なわれないのは、このようなフロアの雰囲気、ゲーム(個々人が没入する体験)をオマージュした演出、ポップな楽曲が引き起こすシンガロングなどを通して、孤独を共有し肯定するような空間が生まれていたからでもあるだろう。そうした意味において、BMTHのヘッドライナー出演は起こるべくして起こり、成功すべくして成功したことだったのだと思う。